連載
「まぼろしの維新」
第十五章 日向路の雨 津本 陽 Yo Tsumoto

 翌日、薩肥両軍が大口本営で作戦の打ちあわせをおこない、両軍で山野の官軍の背後へまわりこみ急襲しようとして、一里ほど迂回したが、薩軍が一個中隊を派遣したのみで奇襲は成功しなかった。
 翌十八日、官軍第三旅団が濃い朝霧のなか高熊山山頂の熊本隊堡塁に迫ってきた。佐々中隊は弾薬不足をおぎなうためさかんに鬨(とき)の声をあげ、二、三十発ずつ銃撃をする。隊士雲生嶽彦八ら力士が、崖を登ってくる官兵に巨石を投げる。
 霧が晴れて登ってくる近衛兵の赤帽の色が見えてきた。投石に当り、谷底へ転落した官兵たちは屍体、小銃を棄て退却した。
 官軍は高熊山山頂を見あげる丘陵に引きあげ、佐々らの堡塁に悪罵を投げかけた。
 佐々隊からも声があがる。
「赤帽またこい。石団子を食わせてやろうたい」
 官兵がいい返す。
「熊本隊はよう粘るわい。糯米(もちごめ)飯を食わせてやるか」
 高熊山の右手にある坊主石山を守っていた薩軍は中隊長以下戦死者が続出し、その日のうちに退却した。
 辺見大隊長は激怒した。
「薩軍はいつから逃げ走るようになったか。熊本隊は高熊山を守っちょる。なんで敗けりゃ逃げにゃならんか。肥後者にあわせる顔がなっか」
 坊主石山を占領した官軍別働第二旅団は九カ所に砲台を築き、軍艦から揚陸した大砲十二門を据え、高熊山に集中射撃をおこなった。その日のうちに発射した砲弾は、八百発に及んだといわれる。
 山頂を守る熊本三番、四番中隊の兵士たちは終日地震と落雷でゆさぶりたてられるような気分であったが、塁壁のなかに身をひそめていると、損害はだまされたようにすくなかった。終日撃ちまくられても戦死者は一名であった。
 その夜、佐々たち熊本隊は翌日の戦闘にそなえ堡塁の修築をおこない、砲弾の被害を避けるために村民数十人の助力を得て、岩盤のなかへ坑道を掘った。
 隊士らは日中は豪雨のなか砲撃の恐怖に耐えぬき、夜は岩を掘り砕く作業でくたびれはて、夜明けまえに刀を抱き深い眠りに落ちた。
 官軍はその様子を斥候に探らせていた。彼らは、熊本隊士らが前後不覚に眠りこんでいるうちにわずか四、五メートルのところへ忍び寄り、突然喊声(かんせい)をあげ突撃してきた。
 弾雨のなかで不意をつかれた熊本隊は半眼反醒の状態で、山麓へ潰走する途中、つまずき転倒し負傷をする。
 敵は追跡してこなかったので丘陵を走るうち、伝令が号笛を吹くと隊士たちは集合した。
 この夜、熊本隊の戦死者は十三人、負傷者は数十人であった。三番中隊半隊長安岡競は退却の命令を聞かず、部下一人とともに敵中に斬りこんで死ぬ。重傷を負い捕虜となって自殺した隊士もいた。
 豪雨のなかで味方が四方から集まってきた。熊本隊の各中隊が集合し、大口の町内で追跡してくる官軍に白兵戦を挑んだ。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府