連載
「まぼろしの維新」
第十五章 日向路の雨 津本 陽 Yo Tsumoto

 七月六日、官軍別働第三旅団が国分の薩軍堡塁を攻撃してきた。踊村の薩軍は退路を断たれる危険が生じたので、退却した。
 辺見雷撃大隊長が七個中隊を指揮して救援におもむいたが、国分の薩軍がすでに退却して陣所は空虚であると聞き、踊村へ引き返した。
 踊村の堡塁も左翼が官軍に占領されており、背後に官軍が進出してくる危険が迫っていたので、熊本隊は日没を待って松明を塁上にならべ点火して、ひそかに兵を後退させ、霧島山麓の大窪、田口女坂附近に退却した。
 官軍は敵が退却する微細な物音を察知して第二旅団が踊街道から大窪へ攻めこんできた。
 七月七日午前八時、熊本隊池辺大隊長以下参謀、中隊長ら幹部が、薩軍辺見大隊長と霧島山につらなる田口の岡に登り、敵情を探った。田口には薩軍が布陣している。
 どこからも銃砲声は聞こえず、野鳥の啼声だけが頻(しき)りに聞こえていたが、野戦をかさねてきた壮士たちには、早朝の嵐気のなかにおだやかではない切迫した気配が感じ取れた。
 遠眼鏡で周囲を偵察するうち、岡の下のほうで突然ラッパの音が聞こえた。
 その音を聞いた者の幾人かは、味方の進軍ラッパだという。古閑監事は官軍のラッパだという。古閑は山崎参謀と敵情をたしかめるため岡の頂上へ登った。
「あっ、敵じゃ」   
 樹木のまばらな斜面は下まで見通せる。その辺りには官兵が蟻の巣を掘り返したようにむらがり、猛烈な集中射撃は耳もとをかすめ、土煙をたてる。
 古閑たちは四方の斜面を囲まれ身動きがとれなくなったが、味方に情況を知らせねば、全軍が惨敗を喫することになるので退路を探し歩き、雨水がうがった自然の洞穴を見つけると、それをくぐり、走って敵の追及をふりきり、本隊のもとへ帰った。
 彼らの報告により霧島街道に待機していた熊本五個中隊は官軍と戦闘したが、勝敗は決しなかった。
 官軍は大窪本道にも進撃してきた。薩軍と熊本協同隊が間道をとってその背後から急襲をしかけたので、官軍は退却した。
 官軍の第三旅団、別働第三旅団は踊村、襲山(そのやま)の両街道を小部隊にわかれて行動し、薩軍、熊本隊と戦い苦戦を味わうこともしばしばであったが、機動力にすぐれていたので、援軍を得て、いきおいを盛り返す結果となった。
 結局、十分な軍資金をどうしても捻出できない薩軍側はいったん勝機をつかんでも、官軍の砲火のもとに捻じ伏せられるように、惨敗させられたのであった。
 七月八日の夜明けまえ、辺見雷撃大隊長の伝令が霧島街道に待機する熊本隊本営に駆けいり、共同作戦を要請する書状を届けた。
「まもなく押し寄せてくる官軍に対し、大砲一発の発射と同時に敵左翼の大窪本道を突撃して一挙に彼らを崩壊させる。
 熊本隊は同時に霧島街道を進撃し、右翼から官軍を攻撃してほしい」
 池辺熊本隊隊長はただちに攻撃前進の態勢をとり、号砲がとどろき渡ると全隊を率い霧島山の田口の岡へ殺到した。熊本五個中隊のほか熊本協同隊も駆けつけてきて猛然と白兵戦を挑み、田口の岡を奪回しては退却し、血に濡れた死闘をくりかえす。



         10 11 12 次へ
 
〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府