連載
「まぼろしの維新」
第十六章 沈む陽(ひ) 津本 陽 Yo Tsumoto

 翌日の明けがたに薩軍は正部谷へきてみたが、熊本隊の護る野原は広大に過ぎて布陣しても隙間ばかりになってしまう。
 別府、松岡も七月十七日の夜明けがたに正部谷に着いたが、地形が予想していたよりも悪いといって、すぐに財部へ引きあげてしまった。
 熊本隊の古閑俊雄監事は諸隊幹部と相談し、ただちに引き揚げることにした。
「ここで敵を迎撃するのは、野原に水を満たした布袋を放り出しているようなものではなかか。撃たれりゃそれまでたい。援兵はきたが、辺りの地形を見てたちまち退却しおった。われわれも犬死にするよりゃ後退して十文字村に築塁して敵を待とうたい」
 熊本隊は後退して接近してくる別働第三旅団迎撃の態勢をととのえた。
 翌二十三日薩軍の振武(しんぶ)、行進の諸隊が財部から進撃し、南下してきた官軍を攻撃した。
 戦闘は終日続き、日没後両軍は堡塁に戻った。薩軍の将兵は天嶮に設けられた塁にいて警戒せず、酒をくらい熟睡した。
 官軍はその隙をつき濃霧のなか薩軍堡塁の真下まで這い寄り、いっせいに鬨(とき)の声をあげ、急襲した。
 薩兵は必死に応戦したが斬りたてられ敗走した。官軍は庄内古城跡に登り、視界のひらけた高所から一斉射撃をくりかえし、薩軍はついに塁を捨て退却した。
 薩軍は雷撃隊の中隊長一人が、数十人の残兵と塁に踏みとどまり、官軍と白兵戦をくりかえした。
 味方の士官が、中隊長に退却をすすめた。
「寡(か)は衆に敵せず。ましてや顔も見知らぬ敗兵をもって、支えようもないごわす。おまんさあ、いまは退いてつぎのはたらき場所を見つけやんせ」
 中隊長は口早の方言でつぎのような返事をした。
「私もそう思わぬことはない。しかし私はいったん中隊長の任をうけ、まったく戦わぬままに敗走すれば、何の面の皮で大将に会えようか。これが私の死闘をする理由のひとつである。
 また都城と高岡本営の輜重(しちょう)倉庫と病院が各所に置かれているが、そのうちのひとつとして、安全な場所に移されていない。
 いまの陣地を捨て逃走する時は、傷病者、輜重弾薬はすべて敵に奪われ、わが全軍の敗北はもはや動かすことができなくなる。私は命をなげうって敵の侵攻を防ぎ、短期間でもその災禍を免れたい。これが死闘をあえてする理由の第二である。
 庄内十文字原には熊本隊が陣地を死守している。いま私たちが庄内から退却すれば、熊本隊を死地に残すことになり、おそらくは生き残る者はいないだろう。私たちはここから一歩も退却できない。これが死闘する理由の第三である。
 この三点はわが身の名誉を守るうえに、全軍の興廃にかかわることで、その一つも欠くことができない。
 あなたは早く後退して、私の言葉を辺見十郎太にご伝言下さい。この地は私の墳墓であると」
 中隊長はいい終えると大刀をふるって部下を指揮して雲霞(うんか)の如く押し寄せる敵軍に立ちむかった。官軍は彼らに砲火を集中し、中隊長以下全員が銃撃によって戦死した。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府