連載
「まぼろしの維新」
第十六章 沈む陽(ひ) 津本 陽 Yo Tsumoto

 七月二十七日の夜明けまえ、官軍第三旅団が板谷越に襲いかかってきた。敗北を重ねてきた薩軍は士気がふるわず、脆くも潰走した。官軍は附近の民家に放火し、泥濘をものともせず追撃の勢いを早めた。
 薩軍は崩れたって船引、清武へ退却してゆく。官軍は逃げる薩軍を追跡しつつ、宮崎、佐土原(さどわら)襲撃の方針をとった。
 天神河原に布陣する薩軍、熊本隊は退路を断たれ、山中の嶮路を伝い、宮鶴町、福島町を通過して、宮崎の中村に辿りついた。そこへ辿りつくまでの杣道(そまみち)は風も通らず、焼かれるように陽が照りつけ、水も食物もなく頭から全身にふきだす汗に濡れ、人馬ともに疲れはてていた。
 中村は旅客、商人が押しあうように往来し、賑わっていた。襤褸(ぼろ)屑をまとった乞食の群れのようになった薩肥の敗軍を追って、官軍が接近していた。
 別働第三旅団は加知山まで薩肥の敗兵をなぎ倒して進み、飫肥を奪った。別働第一旅団も板谷から飫肥に進出した。
 このため、偶然に郷里へ戻っていた飫肥隊の隊長川崎新五郎は、対戦する余裕のないまま隊士八百四十人をまとめ、官軍に降伏せざるを得なかった。
 熊本隊は宮崎から四キロメートルほど離れた時雨(しぐれ)に布陣し、船引、清武を護る薩軍と連絡をとった。
 昼過ぎになって赤江川の上流から官軍別働第三旅団、第三旅団が攻撃してきた。これまで薩軍の主力部隊を撃破してきた、歴戦の精鋭部隊である。
 薩肥軍とはまったく異なる、きわめて優秀な火砲を装備しているので、白兵戦をしかけても通用しなかった。
 官軍が船引、清武へ襲いかかったので、辺見十郎太の指揮する雷撃、振武の両隊が応戦した。清武は丘の下に沼沢をへだてて清武川という大河が数里流れ、宮崎へむかう要害の地である。
 辺見大隊長にすすめる者がいた。
「前の橋を落しゃ、護りやすかろ」
 辺見は笑って聞き流した。
 彼は官軍を夜襲して、工兵隊が軍艦から下した大砲数門と砲弾多数を奪い、清武城の丘に配置していた。
 押し寄せてきた官軍が橋を渡ってくると、辺見は砲撃を命じた。彼らが縦隊のまま橋の中央へさしかかると、砲撃がはじまった。
 砲弾が破裂すると、数十人の官兵が倒れ、川水が赤く染まった。辺見は気をたかぶらせ躍りあがり、喚き叫んで笑った。連発する砲弾の被害は増すばかりである。
 官軍は歩兵隊を後退させ、騎兵隊の突撃で弾幕を切り抜け、橋を確保したため、薩軍はやむなく宮崎へ後退した。
 宮崎の時雨を守っていた薩軍中島健彦、貴島清の両大隊長は、官軍第四旅団が攻めてくると善戦した。
 中島は敵が接近してくると高所に登り、大旗を振って指揮をとった。官兵が右翼を攻撃すれば旗を振って右翼に全軍を集中させ、左翼へ敵が攻めかければ右翼の兵力を応援にむかわせる。
 薩軍の応戦は変幻自在で、官軍の大兵も要害を突破できなかった。だが薩軍は弾薬を使いはたし倉岡に退かざるを得なかった。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府