連載
「まぼろしの維新」
第十六章 沈む陽(ひ) 津本 陽 Yo Tsumoto

 七月二十九日、官軍第三旅団が高岡を攻撃して日没までに占領した。薩軍はやむなく宮崎に退却した。高岡には薩軍の弾薬製造所が置かれていたが、すべての設備を官軍に奪われてしまった。
 官軍は前進して佐土原と宮崎の連絡を遮断し、各個に撃破する作戦を進めてきた。貴島、辺見の率いる薩軍は赤江川の両岸に布陣して、病院、輜重隊、軍務所を延岡に移し、宮崎決戦にそなえた。
 薩軍総督桐野利秋は宮崎支庁に置いた薩軍本営にいて、兵站軍務に当っていたが、宮崎陥落後は、前線を転戦し陣頭指揮に当っていた。彼は白綾の軍服一着を桐箱に入れ、常に従兵に持たせていた。
 その服はいつ着るのかと聞く者がいた。
「時勢はいよいよ切迫してきおった。俺は死ぬ時を毎日待っておっ。そん時にこん服ば着て、よか気分で官兵と戦い、死に際をいさぎよくせにゃいけん。
 そうすりゃあん奴らから辱めらるっこともなかじゃろ」
 その言葉を聞いた部下たちは暗涙にむせんだ。
 この日の深夜、赤江川北岸の熊本隊本営の前で、大声で池辺大隊長を呼ぶ声がした。池辺が表へ出ると、二個小隊を率いた桐野が馬上から手を振った。
「いずこへ参らるっか」
 池辺が聞くと、桐野は馬上から笑顔で答えた。
「奴らが川を渡ってきたとじゃ。これから追っ払いに参じもす」
 庭に入りこんだ野良犬を追い払うかのような、桐野の軽やかな口ぶりに、池辺も思わず手を振って笑って見送った。
 翌七月三十日、西郷隆盛は狙撃半小隊に護衛され、宮崎から高鍋へ移動した。
 都城が陥落してのちは薩軍は小銃弾に用いる鉛が欠乏し、鍋、釜で鋳造した鉄弾を用いるので、射程距離が短くなり、目標に到達しない。
 兵員も死傷者が続出するうえに、降伏、逃亡する者が増加して人員が激減し、作戦を立案するのも不可能な状態になっていた。
 八月一日朝、曽我祐準(すけのり)少将の官軍第四旅団が赤江川の岸へ殺到した。三浦梧楼(ごろう)少将の第三旅団は三好重臣(しげおみ)少将の第二旅団、大山巌少将の別働第三旅団と合流して、高鍋へ突入した。
 高鍋を護る薩軍の指揮は辺見十郎太、総司令は村田新八であった。
 熊本隊は佐土原の北方を流れる穂北(ほきた)川沿いに、薩軍を交え一里ほどの陣を敷いていた。堡塁を構えてはいるが、鉛で鋳造した弾丸を携える兵は一人もいなくなっていたので、大河を挟む銃撃戦では官軍の新式銃の威力に圧倒される。
 八月二日の未明、官軍第二旅団、別働第二旅団が穂北川上流から祗園の渡しに押し寄せてきた。
 二万の官軍はさかんに大砲を発射し、津波のように原野に湧きひろがる。熊本隊三番中隊長佐々友房は前夜の軍議で参謀を兼務することを命じられたので、ただならない戦況を報告するため穂北川北岸の堡塁を離れ、本営に駆けこむ。
 池辺大隊長は食卓にむかい腹ごしらえをしていたが、佐々を見ると急いで尋ねた。
「うしろから大砲の音が近づいてくるが、敵が近寄ってきとるか」
 佐々は答えた。
「祗園の渡しの向う岸は、官兵がうねっとりますたい。あそこは間なしに占領さるるにちがいなかです」



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府