連載
「まぼろしの維新」
第十六章 沈む陽(ひ) 津本 陽 Yo Tsumoto

 四日には第二、第三、第四、新撰の四旅団四万人は、美々津川南岸に充満しており、北岸の薩軍諸隊は包囲され、降伏、逃亡のいずれかを選ばざるを得ない窮地に追いつめられていた。
 薩軍の辺見十郎太の率いる雷撃隊は笹野の陣地から山中を潜行し、官軍輜重隊を襲撃して、大砲二門と銃砲弾数万発を奪い取る神出鬼没の行動をとっていた。
 八月九日早朝、熊本隊は細島陣地を離れ、二十五キロ余の道程を急行し延岡に到着した。薩軍池上四郎とただちに軍議をひらき、翌朝午前七時に豊後方面へ出発するとの命令が下った。
 だが熊本隊は隊伍の編成が整っていないとして、組替えを終えてから出発しようとした。実情は輜重の準備がまだ整っていなかった。松浦監軍が事情を理解せず即時出発を主張したので争論となり、夜半までまとまらなかった。
 そのうちに官軍が富高新町に攻撃を加えてきたと伝令が急報を届けた。薩軍池上四郎が熊本隊に豊後出陣を中止して、富高新町の薩軍救援に急行してもらいたいと依頼し、熊本隊は急遽門川(かどがわ)へ戻り、薩軍の桐野、村田、辺見、貴島、野村(忍介)らの率いる諸隊とともに死闘を展開した。
 官軍の軍艦が艦砲射撃をくりかえしつつ、ボートで兵隊を揚陸させているのを見た辺見十郎太は二十人ほどの斥候隊とともに攻撃にむかった。
 それを見た中隊長がとめた。
「お前(は)んは勇者と誰でん知っちょるが、そげん小人数で何ばでくっか」
「俺の兵は少なか。しかし一騎を以て千人にあたる。もし敗けりゃ俺の髭首をお前ん方に呈上すっど」
 彼は斥候隊を率い、海岸へ走った。
 午後一時頃、官軍が富高新町の北方河内に進撃してきたが、附近に薩軍の姿はなく、灼かれるような炎天下に、油断していた彼らは、軍装を解き裸体となり、五十鈴川で水浴をはじめた。熊本隊斥候がその様子を偵察して本隊に通報し、ただちに攻撃した。船上に寝そべり、河中で泳いでいた官兵は装備を捨て、死傷者を残し裸で潰走した。
 日没が迫っていた。官軍の第三、第四、新撰旅団は門川に近い佐土原隊(党薩諸隊)を攻撃した。佐土原士族らは勇敢に戦うが、官軍は死傷者続出をいとわず、倒れた兵士を乗り越え攻撃を続け、佐土原隊はついに堡塁を捨て、退却した。
 総指揮官の村田新八は、馬上で先頭に立ち七連発銃を発射しつつ突撃する。佐土原隊はいきおいを盛り返し、村田とともに日没まで官軍を追撃し、白兵戦に持ちこみ敵に出血を強いた。
 熊本隊は全隊士をあわせても、小銃を所持する者が二十人に満たない深刻な状況に陥っていたので、実情を官軍に知られたときはたちまち総攻撃を受け蹂躙される危機に立ち至った。
 延岡の南方二十キロの富高新町では八月十二日に征討参軍山県有朋が着陣し、二日後の十四日に延岡攻撃の部署を定めていた。
 別働第三旅団は第一旅団、第二旅団と連携して、曽木から延岡に進撃する。
 第二旅団は黒木を占領し、左翼は別働第二旅団、右翼は第三旅団と連携しつつ延岡へ進撃する。
 第三、第四旅団、新撰旅団は門川に集結して延岡に進撃するという方針をとるのである。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府