連載
「まぼろしの維新」
第十六章 沈む陽(ひ) 津本 陽 Yo Tsumoto

 熊本隊は小梓峠という高地に布陣していたが、官軍はその火力が弱いのを知って、集中射撃を加えてきた。
 佐々友房は『戦袍(せんぽう)日記』に病院から眺めた戦場の光景を、つぎのように記した。
「此日(このひ)戦声大(おおい)ニ起ル、今朝西郷翁自ラ諸軍ヲ指揮シ、大ニ熊谷峠(和田越)ニ迎戦ス、翁は薩摩縞ノ単衣ヲ襲ヒ、一尺余の脇差ヲ帯ビ、悠然トシテ飛丸ノ中ニ談笑セリ」
 官軍は熊本隊の戦力が弱いのを見て攻撃を集中してきた。薩軍の辺見十郎太らは必死に援軍を送り支援したが、官軍は熊本隊堡塁を占領すると続々と兵力を増強し、襲いかかる薩軍を集中射撃で退けた。
 和田越の薩軍は堂坂と熊本隊堡塁が陥落したため崩壊し、長井村に退却した。この日の戦闘で薩軍、党薩諸隊の員数は、三千五百人から二千人に激減した。死傷者のほかに逃亡、行方不明となった者も多かった。
 西郷隆盛はこの日、和田越の頂上に立ち、銃撃が集中し、砲弾が彼を狙い身辺で炸裂し続けても悠然とした態度を変えなかった。
 桐野たちはこれまで陣所にいても人を近寄せず、戦場に姿を見せなかった西郷がここで死所を得ようとしている内心を察していた。
 桐野、村田は薩軍、党薩諸隊の敗色が濃厚になってきたとき、隆盛の体を抱きかかえるようにして和田越の戦線から待避させ、長井村の民家へかくまった。
 薩軍は四キロ四方の長井村に追いつめられた。
 日が暮れると周囲の山腹には篝火がつらなっている。日没のあと熊本隊は本営で最後の決戦方針について軍議をひらき決定した。
「味方の形勢は水が涸(か)れかけた池の魚にひとしく、弾薬、糧食が尽き、士卒も疲れきっている。この有様でためらっておればすべてがゆきづまる。
 こころよく大決戦を敢行し、力の続くかぎり奮闘して、骸骨を野にさらすのみである。
もし天命が尽きないときは敵を破って、熊本城をつき、占領して柳川、久留米、佐賀の有志を募り、ただちに筑前から馬関へ渡り、山陽、山陰を燎原の火の如く従え、京都へ進出しよう」
 おそらくは全滅するであろう決戦に臨んで、戦勢の大逆転を夢想する悲壮な心境は、長井村に集結した薩軍、党薩諸隊のすべての壮士たちに共通の心境であった。
 負傷者として長井村成就寺の仮病院に収容されていた佐々友房は、それまで身辺から離さなかった挙兵当時の『敵愾隊(てきがいたい)』の軍旗、一番小隊の陣中帳簿、軍用地図を、親密にしていた延岡の住民に預けた。兄の佐々干城が夕方に成就寺へきて別離を告げた。
「今夜十二時に西郷さんが陣頭に立って、延岡を攻めることとなったけん、俺も骨をこの地に埋めるたい。これが最後の別れじゃ」
 二千人の味方が突撃を開始する時間が切迫してきたとき、薩軍本営から突撃中止を命じる西郷隆盛の『告諭書』が届けられた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府