連載
「まぼろしの維新」
第十七章 城山へ 津本 陽 Yo Tsumoto

 明治十年八月十七日の夜があけると、長井村を包囲する官軍五個旅団の砲兵隊は空を震わせて猛烈な砲撃をはじめた。砲弾が空中で破裂するので、村内の家屋はことごとく被弾し、病院と定めている寺院にも破片が豪雨のように降りそそぎ、死傷者が戸外まで溢れ出た。西郷隆盛は長井村の重囲を斬り抜け、故郷鹿児島を死に場所とすることを軍議で決め、午後九時に堡塁を出発した。
 長井村の背後の可愛岳(えのだけ)は、絶壁に刻まれた皺のような小道を山腹に爪を立てて登らねばならない。山腹をとりまくように官軍の篝火(かがりび)がつらなり、彼らの歩哨の視野のなかを発見されずに通過するのは、至難のわざであった。
 村を脱出する薩軍、党薩諸隊の総数はおよそ五百名といわれていた。前日より二千人ほど減少したのは西郷の指示に従い降伏、脱走者が出たためであった。
 闇中を手探りで進むので、通路の目印は道端の草木に結びつけた白紙だけである。牽(ひ)いてきた牛馬も荷物とともに放たねばならない。
 曲りくねった隘路(あいろ)を曲ると、いきなり眼前に敵陣がひらけ、驚く官軍と斬りあい血を浴びての激闘を展開する。
 隆盛は狙撃兵に護られ竹駕籠で阻路を進むが、駕籠を担ぐ軍夫たちがあえぎ苦しむさまを見て、途中から徒歩になった。
 隊士たちにまじり、官軍の大堡塁の真下を、緊張しきって息をはずませつつ這い進んでいるとき、隆盛は苦笑いとともにつぶやく。
「こんざまは、ちょうど夜這いじゃな」
 隊士たちは口をおさえ、腹を波うたせながら笑い声をおさえようと必死になった。
 山中へ入って三里ほど過ぎた頃、官軍の大兵の陣所が前方にひろがっているのが見えた。すでに夜が明けかけていたので、官軍はいっせいに猛射を加えてきた。先鋒の将兵は退くこともできないので、ただちに白刃をひらめかせ突撃し、激しく斬りあう。
 将兵は隆盛のもとへ駆け集まった。可愛岳を越えず、ここで斬り死にを遂げようという者が多かった。
 軍夫の一人が報告した。
「可愛岳の頂上へ登る道が、ひとつ有りもす。猪や鹿の通る獣道でごわす」
「よか、そん道をいけ」
 薩軍、党薩諸隊の生き残りの将兵は、人の通らない嶮しい道を伝い登り、午前五時頃に可愛岳の山頂に辿りついた。
 可愛岳は西面がなだらかな斜面になっており、山裾まで見通しのきく草原が多い。隆盛らが辿りついたとき、山頂には一人の哨兵もいなかった。
 官軍は前日のうちに武器弾薬のすべてを山頂に運んでいた。十八日朝からはじまる長井村総攻撃に参加するため、第一、第二旅団が可愛岳頂上に近いなだらかな斜面に、布陣したまま睡(ねむ)りこんでいた。
 第一旅団長野津少将、第二旅団長三好少将も幕舎のうちに身を横たえていた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府