連載
「まぼろしの維新」
第十七章 城山へ 津本 陽 Yo Tsumoto

 輜重大小荷駄の集積所は三カ所に設置する。病院は岩崎谷の士族邸宅三カ所に設け、傷病者を収容した。
 糧食は鹿児島突入の際大量に購入したが、しだいに減少し、二の丸島津邸の貯米で補充を続ける状態であった。軍資金は九月二十日に至ってなお二万四千円が残っていた。
 薩軍が城山に帰還してのち隆盛のもとに戻った田原坂戦闘での負傷者、砲隊半隊長讃良清蔵は、本営に入ってのちひそかに考えるところがあった。
 彼は大人の気風をそなえていて、その識見は諸人の敬愛を集めていた。ある日彼は負傷入院している野村忍介を見舞いに出向いた。 
 中島健彦、辺見十郎太も入院していたので、讃良は言葉を交すうち彼らに本心をうちあけた。
「いま俺どもはここまで追いつめられ、最後の日が今日か明日かと迫っちょい申す。こん時になって、われら幾百の命は毫(ごう)も惜しむところじゃごわはんが、ただ西郷先生の死はまっこと国家の盛衰にかかわるこつごわす。
 ついてはわれら一同が腹を切って先生を救わば、国家百年の大計となろうじゃなかか」
 同席していた諸将は死を覚悟している時に、思いがけない話をもちかけられるとおおいによろこび、賛成した。
 讃良たちは他の諸将に相談すると、同意する者ばかりであった。坂田諸潔(もろきよ)と島津啓次郎はいった。
「俺どもは宮崎におったとき、細島から上京して闕下(けっか)に建言することを考えもした。桐野利秋はこれを聞き、不可なりといわれ、やめもした。
 ふたたび建言するなら、俺がいたしもんそ」
 諸将は応じた。
 坂田は建言書をつくり、諸将を本営に集合させ、西郷隆盛に一同の意見を陳述した。
 隆盛は一言聞いたのみであった。
「開戦以来戦場で落命した者はどれほどでごわすか」
 隆盛は死を待つばかりの内心を洩らす口ぶりであった。
 このとき桐野が他出先から駆けつけてきて、満座の諸将を見渡し、叫んだ。
「いまになって卑怯の相談をしかけ、意見書を書いた者がおっとなあ。そいは何者の仕業か」
 諸将は桐野のすさまじい剣幕に気を呑まれ、一言も答えられなかったが、元評論新聞の記者であった、年齢十七、八歳の山田亨次がついに答えた。
「これは俺の意見であいもす」
 桐野は「お前んか」と一言いっただけで、相談を中止とした。
 坂田諸潔はわが意見が用いられなかったが屈せず、友人の別府九郎に説いた。
「わが軍の敗状はここまできたとなあ。今日のことは岩村通俊県令に会うて、征討の趣旨を聞きたしかめ、俺どもの道理を、屈すべきものは屈し、申しつらぬくべきはつらぬき、道理の許すに応じ進退せにゃなるまい。」



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府