連載
「まぼろしの維新」
第十七章 城山へ 津本 陽 Yo Tsumoto

 河野は村田のすすめに従い、各隊長を集め事情をうちあけた。このとき山野田一輔が申し出た。
「西郷先生が同意なされば僕を同行してやったもんせ」
 各隊長が解散してのち、河野が辺見の病床へ立ち寄り別れを告げると、そこに岩元平八郎がいて、軍使としての同行を頼んだ。河野は答えた。
「僕はあえておまんさあを拒むじゃなか。じゃっどん西郷先生に目通りして決めたことにしもんそ」
 二十一日朝、河野は本営に出向き、西郷にたずねた。
「先生の助命を天下のために官軍に頼みにいきもす。同行者がいるのがよかんそか。一人でいきもんそか」
 西郷は頼みを拒絶せず答えた。
「おまんさあが決めりゃよか」
 河野は多年教育を受けた恩を隆盛に感謝したのち、辺見の病床へ立ち寄り、待っていた岩元平八郎に告げた。
「おはんは俺と竹馬の友で、川村純義とは旧友じゃ。軍使として心胆をうちあくるに、私情をまじえざるはもとよりじゃが、外から見られ疑いをかけられるっこつになりかねもんそ。
 そのために山野田を同行するにしかずと決めもした」
 西郷隆盛が官軍の総攻撃をうける直前になり、河野に自分の助命交渉を許したのは、唐突に過ぎる感がするが、隆盛が生き残り、ロシア、韓国、中国との国際交渉をおこなえばどうなるか。ヨーロッパ列強の植民地経営の鋭鋒に当り、近代共和制の国家として諸制度再建に当るため、怒涛のような変化の押し寄せるなか、隆盛さえ政府前進の舵をとれば難関は突破できると考える人は、明治八年から九年の時点では天下に満ちていた。
 島津久光の側近であった内田政風(まさかぜ)は維新後、石川県令であったが明治八年に辞職して島津家令となり久光の政治活動につき従い尽力していた。彼は明治九年はじめ鹿児島へ帰県し、隆盛に意見書二通を送り政界への復帰をすすめた。
 島津久光と隆盛は主従の縁でつながっていたが犬猿の仲であった。久光が倒幕の資金を惜しまなかったのは、徳川幕府が崩壊ののち新政府の首長となるためであった。
 隆盛が巧みに軍隊を指揮して倒幕を果たしたのちには、久光は全国支配をおこなうつもりであったが、全国の大名士族は秩禄奉還によって財政上は平民と同様の立場に落されただけであった。
 その後、隆盛は久光を政府重職に推そうとはせず、久光は自ら運動して明治七年四月、左大臣に任ぜられたが、立案する意見は採用されることなく、明治八年十月に辞任した。
 久光が内田を県令から辞任させたのは、これまで仇のように憎悪していた隆盛を政府に出仕させ、その力量によって自分の政府における立場を強化しようと考えたためであった。
 隆盛は旧藩期に幾度も遠島投獄され、殺されかねない窮地に投げこまれた久光に、味方として提携しようと手をさしのべられたのは、意表をつかれる思いであったに違いない。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府