連載
「まぼろしの維新」
第十七章 城山へ 津本 陽 Yo Tsumoto

 長文の政風の意見書は次のようなものである。
「今度帰郷したのは近頃の国家の現況、政治情勢を観察して、いつ瓦解するかも知れない有様で、嘆くべき至りであると思われた久光公が朝廷でいろいろとご建言なさいました。
 ところが二、三の大臣がこれを否認いたし、恐れ多くもご壮年の天皇陛下を眩惑し奉り、ご採用されなかったのでご辞職なさったのです。引っこみ思案の近頃の形勢を見れば、外交は無方針、ひとつとして根幹になるものはなく、すべて枝葉末節にのみこだわり、中途半端な政策ばかりいたします。
 朝鮮事件にはすでに黒田清隆ら使節を派遣していますが、往復電報を大秘密にするので、進展内容がさっぱりわかりません。
 琉球処分に至ってはもっとも至難で、わが政府の処置は児戯にひとしく、世界各国が指をさして笑っているのが、鏡に映じ見えるようです」
 つぎは国家経営の失敗をあげる。
「国家経営に至っては、未熟の地租改正を施行し、区入費が多すぎるので住民は支払えない状態である。住民の事情は官庁に通じることなく、雑税は連日ふえるばかりで、三都はもちろん五十八県の住民はほとんどが破産し、しだいに恥知らずになり、方向に迷い、上に信義がなく、旧幕時代を慕う者が多くなっています」
 国債の基盤の脆弱にも触れる。
「内外国債は国力に超過し、ようやく不換紙幣で目先をつないでいる有様であるが、準備金がないので、いったん外国と不仲(ふなか)になり問題が起ったときは、たちまち救いの手の及ばない境地に落ちこむ。
 現金を購入しようとすれば、百円にたいし三円か三円五銭の差額がある。明治二年、太政官紙幣百円に対し、二十八円まで通用させた実例がある。
 当時は財閥三井、小野組に命じ、彼らの配下にある大阪の豪商らがおおいに尽力したため、そこまでの好成績が出たのである。
 その後わずか半年で三都の大金融業者が片端から倒産した。現在は数万斤の火薬に放火するような有様だが、あいついで土木工事を興し、その全責任を負う大蔵省は壮大な洋館建築の紙幣寮を神田橋内元賜藩邸から、常盤橋越前旧藩邸までの敷地にわたり建築し、高楼は雲よりも聳(そび)えている。
 これを亡国寮と呼ぶもいたしかたがない。もとより紙幣は時勢に応じ準備金を支度する。
一時的の必要な時期に用いるもので、いつまでも用いるものではない。
 それをおおいに流通させようとするのは、為政者の判断力を知るべきである」
 内田は政府の困難な財政事情は国際信用失墜を招くという。
「大隈重信の九月一日の税表を検閲すると、当九月までの出納金九百万円以上の差引剰余を生じると記しているが、まったく事実に反する計算であるといわれている。
 実に言語道断、貨幣は国家の脳髄で、それを悪用すればいかなる金城鉄壁をつらね、精兵百万をつらねても国家を支えられないことはあきらかである」
 内田は政府旧財務課の調査によれば、輸入超過は一千万円であるそうだ。朝野(ちょうや)新聞外国報によれば、日本政府の征韓には三カ月間出兵せねばならないそうだと告げる。戦うか否かは韓国の決断しだいである。戦費は三百万円かかるという。
 横浜所在の英国某会社に日本政府から三百万円の借入れを申しこんだところ、相当の担保物件がなければ応じられないとの返事であったという。日本政府の信用は地に落ちているわけである。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府