連載
「まぼろしの維新」
第十七章 城山へ 津本 陽 Yo Tsumoto

 維新後にここまで国力が疲弊したのは、大隈らが財政再建をはからず、農業立国の根固めをしないためである。欧米が数百年努力奮励して今日に至った経歴を知らず、にわかに彼らをうらやみ、うわべのみまねをして、文官の服地まで羅紗を用い、家屋を洋風に建てかえ、屋内にもことごとく洋品を使用する。
 彼らはひたすら洋酒に沈酔し、欧米の長所を採用する計をとることをしないと、当局者をきびしく弾劾した。
 内田の政府批判は延々と続く。
「現下における国家の急務のあらましは、産業を興し、造船所、大小砲製造所、弾薬製造所の設置、牧羊をさかんにして軍服に至るまで製造しなければならない。
 条約改正は目前に至り、これを円満に解決するには兵力を強大にしなければならない。だが政府はその点に注意をすることもなく、まことに遺憾である。
 大蔵省の重役は、国家経済は輸出を計って輸入をしなければ進歩発展しないと言っている。そうかも知れないが、そういいつつ国家を玩弄物のように扱う、乱臣賊子がはびこって、国民のこうむる迷惑はかぎりない。
 風俗は怠惰、軽薄になるばかりで、文部省は徳育を重んじることなく、学問はわが身の資本を考えようという有様である。
 強国の鼻息をうかがい、弱国を威嚇し、文明開化の形ばかりをまね、実際の信義に乏しい。政令に仁、信ともになく、言論自由とはいうが実際におこなわれず、一日も気を安んじて暮らせない」
 ここで内田は島津久光が隆盛の政界への出馬を望んでおり、自分も同意見であると告げる。
「私はとにかく閣下(隆盛)に愚意を吐露し、私心をはさまず虚心をもってご高見を承りたいと存じます。
 それについて久光公に思し召しをうかがい奉れば至極ご満足。私の帰県はすすめも留めも遊ばされず。そのわけは二年前、肥前佐賀江藤暴発の際、鹿児島県鎮撫を名目として御帰県されたのは、実は閣下(隆盛)をお誘いなされたいとの内々仰せ出されたことにかかわっております。
 朝廷の各大臣はおおいによろこび、ただちに陛下の叡聞に達し閣下を御引見のところ、閣下の答申が至当ということになり、無理におすすめもできなくなりました。
 その後まもなく、久光公は御召しをうけご上京、いろいろとご意見を申し立てられましたが廟議は何事も定まらず、長らくご苦慮なさいました。
 廟議はとにかく曖昧で不公平の取扱いが多く、久光公は断乎(だんこ)として御建言されても採用されることがなく、ついに世情に飽きご辞任、すべてお見切りとなされましたが、陛下を深くご尊崇なさっておられます。
 ここに至って私は奈良原繁氏を通じ、久光公のご本意をおうかがい申しました。
 内田政風が赤心を吐露し、閣下(隆盛)がお聞き入れ下されば、西郷が万一上京に至れば天下の僥倖(ぎょうこう)である。面会するとの仰せで、ご気色はなはだよく、閣下とご協力はたしかであると存じます。
 この機会を逃しては国力が衰え、天下の大事を手をつかね見送ることになりかねるので、どうぞご高説を伺い安心させて下さい」



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
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第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府