連載
「まぼろしの維新」
第十七章 城山へ 津本 陽 Yo Tsumoto

 内田政風は隆盛に久光の協力者になってほしいと手をさしのべてきたのである。これまで隆盛を嫌いつづけてきた久光が、彼の力量を借りないかぎり政府の改革は実現しないと考えた。
 これまではありえないことであった。政府腐敗を弾劾する声は激しくなるばかりである。
 隆盛らが東京から帰郷した明治六年冬から、世上は大小の動揺に見舞われつづけていた。明治七年一月に、岩倉具視が喰違門外で土佐の士族武市熊吉らに襲われ、二月には江藤新平、島義勇(よしたけ)が佐賀の乱を起した。同月十四日には宮崎県下の士族農民五千人が上納年貢を不満として強訴。
 同年八月十一日には、函館駐在のドイツ代理領事フーバーを、秋田県士族が殺害。九月九日に酒田県田川郡農民が官吏の不正を追及するため蜂起。翌十日には秋田県下各村で徴兵令を血税とする誤解から農民等が挙兵した。国際問題では台湾出兵、北京談判がおこなわれた。同年、政府大改革が大久保の計画によりおこなわれたが、まもなく板垣退助に続いて、木戸孝允も参議を辞職し、朝鮮江華島砲撃事件がおこった。
 内田政風が久光と隆盛を提携させるために動いた明治九年は国民がいつ動乱がおこるかと、不安に駆られる情報が飛びかった。
 九年十月には熊本神風連の乱、秋月の乱、萩の乱があいついで起った。隆盛は諸県の志士たちから協力を求めにくる使者、身辺を探る政府関係者から遠ざかるため、温泉入湯、狩猟に出向いていたが、いずれは国政改革のために決起せざるをえなくなると見ていた。決起するのであれば東京への進路を妨害する官軍の行動を排除せねばならない。
 そのために必要なものは軍資金であった。
 大砲、小銃、銃砲弾を中心とする軍需物資、軍艦、商船などである。
 私学校党が決起するとき、官軍に戦闘をしかけたくはない。戦うのは官軍がこちらを賊軍と見なして攻撃したときのみである。
 俸禄から離れた生活で早くも生活に窮している全国士族が唯一の希望の光明として頼っているのは隆盛であった。彼らは隆盛が攻撃を受ければ、かならず一斉蜂起して協力してくるであろうと、国民のすべてが見ていた時世であった。
 内田政風が久光との提携協力をすすめてきたとき、戦略上から見れば応じていたほうがよかったかも知れない。久光は協同すれば、かならずああしろ、こうしろとわが方針を押しつけてくるのは眼に見えていた。
 だが戦略から見れば使い道はある。久光の持つ力を利用して戦闘に勝つ手段を思いつくのは、隆盛にとって難事ではない。
 幕府を解体する戊辰戦争のとき、隆盛は倒幕に参加した全軍を思うがままに指揮して大勝した。武将の才能をうたわれる勝海舟、大村益次郎、山県有朋、板垣退助らはすぐれた将器で作戦指揮の能力は抜群であったが、隆盛は将器としては彼らをはるかにうわまわっていた。その感覚を探れば、敵を瞞(だま)すためには天下の大悪党にもなれるのである。
 幾年も鹿児島に籠居し、農耕、狩猟にたずさわって国政、海外情勢に疎くなってしまったかといえば、腹心のなかにひそむ秀才たちを動かし、海外制圧をはかる西欧諸国の内情まで手に取るように掌握している。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府