連載
「まぼろしの維新」
第十七章 城山へ 津本 陽 Yo Tsumoto

 隆盛は時勢の変動する情勢をすべて理解していた。
 農事、狩猟、入湯に日を送る隆盛は今後の政府の施政を放置し、なすこともなく便々と月日を送っているのではない。私学校頭に掲げられる綱領を見れば、ただならない気迫の気配が文面のすべてに満ちていた。(一部を現代文とする)
 一、道を同(おなじ)うし義相協(ぎあいかな)うを以(もっ)て、聚合(しゅうごう)せり。故にこの理をますます研究して、道義に於いては一身を顧みず、必ず踏みおこなうべき事。
 一、王を尊び民を憐れむは学問の本旨、然(しか)ればこの天理を極め、人民の義務に臨みては、一向難に当り、一同の義をあい立つべき事。
 すなわち装して横区(おうへん)(扁額)となし、講堂中央の壁間に掲げ、校徒拳々服膺(ふくよう)して敢(あえ)て或は違(たが)うあらんことを畏る。

 ここに記す内容は決しておだやかではなかった。道義において一致する者が、人民の義務を果すべき時にはともに難局に当り、われわれの存在意義をあらわせ、という綱領の示すところは学問研究の範囲にとどまらない。
 困難に臨んでは死生をかえりみずかならず机上の論議を越え実行せよという意志をあきらかにしている。
 隆盛が久光の協力申し出をうけいれたときは、わが計画をすべておさえ、久光の方策を実行する委員となるつもりでなければならないことがわかっていたので、要請をうけいれるつもりはなかった。
 島津久光に協力すれば手に入るのは軍資金、商船、武器、旧藩主につながる鹿児島士族である。だが隆盛は幕末動乱期から明治期にかけて、彼と一体となって実戦をともにしはたらいてきた士族の自分に寄せてくれる信頼の厚さは知っている。
 隆盛は明治九年三月四日午後、内田政風に会い今度の誘いかけについてつぎのような返事の書状を渡した。
 (内容は現代文とする)
「前略
 ついては東京の事情を逐一お取り調べなされ、挽回の大業については、着手の順序等までていねいに反復してご教示いただき考えさせていただきましたが、久光公が左大臣となられ十分ご尽力をなさっても、その実効はなりたたず、いわんや私のような無能な者はとてもかないません。
 どんなに方策は可能でも、また弾劾すれば動かないのは明白です。
 私どもはもとよりただ困難に倒れる覚悟でございます。別にほかに思慮もありません。もちろん東京から引きあげたとき、今日の弊害がかもし出されることは見通していたことで、いまさら驚きも嘆きもいたしませんが、心中は厚くお汲み取り下さい。
 三月四日 
                                西郷吉之助
 内田政風殿」

 隆盛は内田と会ってから風のように過ぎ去った一年七カ月の日々を城山岩崎谷の洞穴から澄んだ秋空を見上げつつ、思い起していた。



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〈プロフィール〉
津本 陽(つもと・よう)
1929年3月23日和歌山市生まれ。東北大学法学部卒業。78年『深重の海』で第79回直木賞を受賞。95年『夢のまた夢』で第29回吉川英治文学賞を受賞。97年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。05年菊池寛賞を受賞。主な著書に『明治撃剣会』『薩南示現流』『黄金の天馬』『宮本武蔵』『下天は夢か』など多数。
Back number
第十七章 城山へ
第十六章 沈む陽(ひ)
第十五章 日向路の雨
第十四章 敗走
第十三章 手負い獅子
第十二章 田原坂
第十一章 露の命
第十章 血戦
第九章 出陣
第八章 雷雲迫る
第七章 炎の気配
第六章 士魂とは
第五章 隆盛辞職
第四章 風浪のとき
第三章 怨恨の道程
第二章 恩讐の道程
第一章 新政府