よみもの・連載

軍都と色街

第一章 横須賀

八木澤高明Takaaki Yagisawa

第一章 横須賀


 黄金町駅を過ぎ、南太田の駅を抜けるあたりで、電車はにわかに右に左にとせわしなく曲がりはじめる。電車が故障しているわけではなく、線路が海岸段丘の裾に沿って敷かれているため、カーブが連続するのだ。私は現在東京に暮らしているが、カーブに揺れる京浜急行に乗るたびに、地元に帰ってきたことを実感する。
 目の前のつり革には、スエットに黒いパーカーを着た女が立っていた。アイラインを強調したメイク。電車が揺れるたびに、パーカーの裾が上がって、ちょうど腰のあたりに彫られたタトゥーが見えた。何となくであるが、この女も横須賀中央駅で降りるのではないかなと思った。化粧の具合と服装、タトゥーなどから判断するにどぶ板通りの飲み屋にいそうな雰囲気を漂わせているのだった。
 沖縄、韓国、そして横須賀と、米軍基地周辺にある歓楽街を歩いてきたが、そこで働く女たちの化粧や服装は少なからず似通っていて、同じような空気を纏(まと)っているのだった。それは考えてみれば当たり前のことで、工場で働くエンジニア、道路工事などに携わる労働者、さらにはサラリーマンの雰囲気は誰が見てもわかる。米兵たちがいる街で、彼らを相手にする女たちの様も似通るものなのだろう。
 カーブのたびに現れるタトゥーを見ていたら、電車は目的地の横須賀中央駅に着いた。横須賀中央駅のホームもやはり段丘沿いに作られているので、まるでバナナのように滑らかに曲がっている。
 タトゥーの女も思ったとおり横須賀中央駅で降りた。ホームには、米兵たちの姿が目につき、英語が飛び交っていて、基地の街にある駅ならではの空気が流れていた。
 駅を出ると、背後には小高い丘が迫っている。まずはどぶ板通りへと向かってみることにした。米軍基地のゲート前の街として知られているどぶ板通りであるが、そのルーツは旧日本海軍の時代にまで遡る。もともとはドブ川が流れていて、そこに鉄板の蓋をして通りにしたことから、どぶ板通りと呼ばれるようになったという。海軍の水兵などを相手にする商店が明治時代から建ち並んでいた。その後、横須賀が米軍に接収されると、どぶ板通りの主役は米兵たちになっていったのだった。
 朝鮮戦争からベトナム戦争と、大きな戦争が続いた一九五〇年代から七〇年代にかけては、どぶ板通りが一番盛り上がった時代だった。どぶ板通りで父親の代からバーを経営する川瀬さんは言う。
「どんどん客が来た時代だったよね。もともとは、佐世保出身の親父がバーをはじめたんだけどね。ちょうどベトナム戦争が終わる頃のことだよ」
 佐世保といえば、言わずと知れた基地の街である。いずれこの物語の中でも触れることになるが、旧日本軍からはじまり米兵相手の歓楽街が形成され、横須賀と同じような軌跡を歩んでいる街である。
 私は日本の米軍基地周辺の歓楽街を取材してきたが、彼の父親のように米軍を追いかけて店を出す人物の話を聞いたことがある。やはり今後触れることになるが、埼玉県朝霞(あさか)にも米軍相手の歓楽街ができベトナム戦争の頃には、大きな賑わいをみせたが、そこの経営者のひとりも山形県の神町にあった米軍相手の歓楽街でブロークンダラーという店を経営し、その後神町から米兵が撤収すると、朝霞へと移って商売を続けていた。
 経営者ばかりではなく、娼婦たちも米兵の後を追って流離(さすら)い続けた。米軍基地周辺の歓楽街から歓楽街へ、実入りのいい街へと娼婦たちは集まったのだ。神崎清の著書『売春』にはそうした娼婦たちの行動の一端が記されている。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number