よみもの・連載

軍都と色街

第一章 横須賀

八木澤高明Takaaki Yagisawa

”「原町田(はらまちだ)に兵隊がいなくなったので、『どこかいいところを見つけてくる』といって、ママさんがさがしにでかけましたが、そのうち横須賀へひっこすことになり、長源寺坂の交番のすぐそばの家を借りて、六日にやってきました」”


 長源寺坂とは、どぶ板通りから歩いて十分ほど、京浜急行汐入(しおいり)駅からほど近い場所にある坂のことだ。あとで細かく記すが、娼婦たちは街中で米兵たちを引っ掛けて、各々が借りていた部屋に兵士たちを連れ込んだのだった。
 どぶ板通りだけでなく、横須賀には娼婦たちが溢れていたわけだが、どぶ板通りは活気に満ちていたと川瀬さんは言う。
「金を計算する暇なんてなかったから、リンゴの空き箱にどんどんドルを放り込んだって話だよ。米兵たちも戦場に行ったら帰って来られるかわからないから、豪快な連中ばっかりで、しょっ中喧嘩だよ。最近の連中なんて、その頃と比べたら赤ん坊みたいなもんだよね。大人しくなったよね」
 どぶ板通りが血と精液の匂いに包まれていた時代は今から、四十五年以上前のことだ。ちょうどベトナム戦争の頃になる。
 戦後からベトナム戦争にかけて、ドブ板通りの娼婦たちは、連れ込みホテルだけではなく、通りのすぐ裏に迫った山裾に掘られた防空壕すらも、ちょんの間代わりに使ったという。山裾の防空壕は、今では立ち入れないようにトタンで塞がれているが、当時のままで残っている。
 どぶ板通りばかりではなく、こんなことを言っては住民に怒られるかもしれないが、横須賀中が米兵相手の商売で沸き立っていたと言ってもよかった。
 その当時の光景を記憶している住民に話を聞いてみた。その女性は、今もバーが建ち並ぶ若松町からほど近い場所で暮らしていた。古くから横須賀に暮らし、とある商店の経営者である。彼女に話を聞いたのは、古そうな店構えをしていたので、話を聞けるだろうとたまたま店に入ったのがきっかけだった。
「何で今頃、話を聞こうなんてしているのよ。もう遅いよ。どこにも娼婦なんていないでしょう」
 今の横須賀の状況ではなく、昔のことを聞きたいのだと説明すると、「最近はそういうのが、よく来るね」とぼやいてから彼女は話をはじめた。
「昔はどこにも娼婦がいっぱいいたよ。彼女たちはそこらの家の部屋を借りていてね。そこに男を連れ込むんだよ。この辺りの家はほとんどが娼婦に部屋を貸していたんじゃないかね。通りでは、金を払う払わないで、よく揉(も)めてるのもいたし、米兵同士が喧嘩して、朝になると道に倒れているのも、日常の光景だったよね」
 その頃彼女は高校生だったという。
「私の友達の母親にもそういう仕事をしている人がいたぐらいだから、パンパンたちの姿は日常の光景だったよね。米兵と結婚してアメリカに行った人もいたけどさ、ほとんどが捨てられて十年以上前はそのままこの辺りに住んでいた人もいっぱいいたよ。今もパンパンをやっていた人が何人かは暮らしているけどさ。その人たちのことを悪く書いちゃダメだよ。みんなやりたくてやっていた人なんていなかったんだからね」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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