よみもの・連載

軍都と色街

第一章 横須賀

八木澤高明Takaaki Yagisawa

米軍内の人種問題


「ごめんな。何も話せないんだ」
 暴行事件の取材をすすめていくなかで、どぶ板通りで見かけた黒人の米兵に何か話を聞けないかと思い、話しかけてみたが、その答えはあまりにつれなかった。
 一軒のバーに当てもなく入ってみた。カウンターにはひとりの白人米兵が腰掛けていた。取材のお願いをすると、名前を出さなければいいよと応じてくれた。年齢は三十九歳。
「困ったもんだね。事件を起こしたのはまた黒人だよ」
 同じ米兵でも、一緒にされるのは御免だとばかりに苦笑いを浮かべながら言った。二〇〇六年の強盗殺人も黒人によるもので、二〇〇五年六月に沖縄の北谷美浜で起きた米兵による暴行事件の犯人も黒人だった。
「黒人による事件は多いんですか?」
「黒人はどうしても貧しいから、事件を起こすんだよ。俺が育った町にもさ、かつてのニューヨークのハーレムのような場所があるんだ。スラムのようなひどい環境の場所から食うために軍隊に入るから、このような事件を起こすんだよ」
 その言葉をどこまでに真に受けていいのかわからないが、今もって米軍の中では、黒人と白人の間に少なからず壁があることは間違いない。
 このバーにいる客は白人だけだった。ちなみに事件を起こした黒人が女性と知り合ったのは、黒人が主な客筋のバーだった。
「黒人がこの店に来ることはないんですか?」
「彼らとは聴く音楽も違うしね。ここで流れているのはカントリーミュージックだろ。当然、仕事の中ではお互い付き合うけど、プライベートではあまり仲良くすることはないよ」
 白人が集まるバーだからこそ、彼は本音で話してくれたのだろう。
 以前、私は沖縄のコザにある歓楽街を取材したことがあった。ベトナム戦争当時は、黒人と白人では出入りする歓楽街が分かれていた。もし黒人が白人の歓楽街に足を踏みいれようものなら、袋叩(ふくろだた)きにあったという。人種による対立は激しかったと聞いた。ここ横須賀でも同じことが未だに続いているのだった。
 米兵だけでなく、どぶ板通りでバーを経営する日本人には、米軍内の人種の壁はどのように見えているのだろうか。
 ベトナム戦争当時からバーを経営する男性に話を聞いた。
「白人と黒人は飲む店が違ったりしたもんですか?」
「そうだね。ベトナム戦争の頃、ここどぶ板通りは白人しかいなかったな。黒人はみんな汐入の方に行ってたんだ。飲む場所ははっきりと違っていたよね」
「横須賀で起こる米兵絡みの事件についてはどう思いますか?」
「事件を起こすのはほとんどが黒人。俺が知る限り、白人が起こしたのはない。米兵の事件といってもひと括(くく)りにはできないと思う。そんなことは、大きな声では言えないけどね」
 初めて知らされる事実であった。事件で報道されるのは、米兵という単語のみで、最近では人種までは報じられない。二〇一七年に沖縄で発生した米軍属による女性殺人事件もやはり黒人によるものだ。
 私は人種差別を煽(あお)るつもりはないが、朝鮮戦争時代、小倉において黒人兵たちが集団脱走し、暴行事件を起こしたことなど、時を超えて黒人兵による事件は発生し続けている。それは米軍内の差別や米国における生活環境などに原因があるのだろうか。
 
 現在日本には自衛隊と共用する基地を合わせて百箇所以上の米軍基地が存在している。日本で一番多く米軍施設が存在しているのは沖縄だが、基地の総面積では北海道である。東西冷戦時代、ソ連が仮想敵国であったこともあり、多くの米兵たちが北海道に駐屯しているのだ。
 かつては、北海道から沖縄まで米軍基地のまわりには色街ができ、米兵による事件も頻発した。最近ではその数も減っているようだが、米軍は厳然たる軍隊であり、暴力装置である。いつまたどこぞやで紛争が起きれば、彼らは戦場へと駆り出され、銃後の世界に戻ってくれば、荒ぶる者となることは、明らかである。防衛庁の統計によれば、一九五二年以降米軍関係者による犯罪は二十一万件に及ぶという。それにしてもとんでもない犯罪数である。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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