よみもの・連載

軍都と色街

第一章 横須賀

八木澤高明Takaaki Yagisawa

横須賀色街事始め


 横須賀における色街の歴史を辿ると、江戸時代に幕府がフランスの協力を得て製鉄所を作ったことにはじまる。
 欧米を歩き見聞を広めた幕臣の小栗忠順は列強から国を守るためには、近代的な海軍が必要だと考えた。製鉄所と名付けられてはいるが、造船もできる施設を計画し、一八六五(慶応元)年に起工式が行われている。製鉄所が完成したのは一八七一(明治四)年のことで、建設に奔走した小栗忠順は、戊辰(ぼしん)戦争において新政府軍に拘束された後、斬首されてしまったので完成された姿を目にすることはなかった。
 だが日本初の製鉄所は、近代日本が発展する礎となったことに間違いなく、後年、日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を打ち破った東郷平八郎は、小栗の子孫に面会して彼の功績を讃えている。
 ちなみに、東郷が乗り込み日本海海戦の旗艦となった三笠は、旧日本海軍の象徴として横須賀に係留されているが、太平洋戦争後米軍向けのダンスクラブとして利用されていた時代があった。その三笠の無様な姿を目にした、東郷を尊敬していたアメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツは、ひどく憤り、そのような使い方を禁じるため歩哨を立たせたという話が残っている。
 
 江戸時代の終わりに製鉄所が作られると、そこに雇われていた外国人の技師向けに大滝遊廓が作られたのだった。
 横須賀中央駅から米軍基地のゲートに向かって伸びる中央大通りに大滝町という町があるが、その辺りに遊廓ができた。それまで横須賀は海岸段丘沿いに茅葺きの家が数軒あるのみの三浦半島の漁村に過ぎなかった。

 漁村の名残は今も横須賀にはある。
 対岸まで百メートルほど、狭く細長い湾の中を一艘(そう)の小舟がかすかな波を立てながら進んでくる。小舟の全長は三メートルほどで、一人の老人が船の中程に腰かけている。
 老人の名前は石渡惣八さん。横須賀の米軍基地の目の前にある湾で先祖代々漁師をしてきた一家に生まれ、一時サラリーマンをしていたこともあったが、現役の漁師である。
「いつぐらいから、ここで漁師をしたのかはわからないけど、おそらく鎌倉時代ぐらいからここにいたのは間違いないと思うぞ」
 源頼朝が鎌倉幕府を開いた鎌倉時代と言えば、今から約八百年以上前のことだ。その時代から漁師として先祖代々暮らしてきた。石渡さんの姓についてはこんな由緒が残っている。
「源頼朝の弟の範頼(のりより)が殺されそうになった時、この湾に逃げてきたって言うんだよ。その時匿(かくま)ってあげて、潮が引いた海を渡るのに石を置いて渡してあげたから石渡って姓をもらったっていうんだ」
 源範頼は兄頼朝に疎まれ殺害されたが、その場所には諸説あって、そのうちの一つが、ここなのである。
 石渡さんが暮らしている家は、神奈川県横須賀市追浜(おっぱま)の深浦湾に面した浦郷町(うらごうちょう)にある。
 背後に山が迫った深浦湾は、天然の良港で、湾の半分は今もアメリカ海軍に接収されている。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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