よみもの・連載

軍都と色街

第一章 横須賀

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 季節によって様々なものを採り続けてきた石渡さんだが、三浦半島で、天然のワカメを採っている現役最年長の漁師である。東京湾内でワカメの養殖は数多(あまた)行われているが、天然のワカメを採る漁師となると、その数はぐっと減る。
 現在国内で流通するワカメの九割は養殖ものだ。養殖の場合は種糸と呼ばれるワカメの幼芽がたくさんついた糸を海中一メートルから二メートルほどに沈めたロープにいくつも結びつけて、ワカメが二メートルほどの大きさになるのを待って収穫する。よほどの気候変動がない限り、確実に収穫ができる。一方で天然のワカメは、その年の気候や潮流などの影響によって、昨年生えた場所に今年も生えてくるとは限らず、年によっては、まったく収穫できない年もあり、常に安定的に採れるものではないのである。
「去年はすごくよく採れた場所に、今年もと思って行ってみても、ワカメがまったくなくて、他の海藻が生えてるなんてこともよくあんだ。なんでそうなんのか、理由はわからねぇんだよ。それがわかれば苦労しないんだ」
 近年の地球温暖化の影響など様々なことが考えられるが、石渡さんは安易に原因を口にしない。生き物である海を相手にしてきた男にとって、与えられた条件の中で生きていくという謙虚さを感じた。
 毎年、安定的な収穫を得るためには、養殖に手を出せばいいのだが、天然もののワカメにこだわり続けている理由を聞いてみた。
「やっぱり、天然ものと養殖ものじゃ味がまず違うんだ。ワカメの腰が違うんだ。それと代々オヤジも爺さんもやってきたことだから、続けているんだよ」
 岩にへばりつき、潮流にもまれることで、天然のワカメは養殖ものにはない、歯ごたえと旨味(うまみ)を生み出すのだという。かつては深浦湾の風物詩であったというのに、今ではここ横須賀ではワカメを採る漁師は石渡だけになってしまった。
「春先にはワカメを採って、それからあとはコハダやカサゴ、メバル、冬になったらスズキやタコを採ったもんだった」
 昔から、深浦湾のある横須賀は豊かな海だった。
 石渡惣八さんは、昭和元年に浦郷町に五人兄弟の次男として生まれた。
 今では住宅街になっている浦郷町であるが、当時は漁師の家だけが並ぶ侘(わび)しい漁村だった。言ってみれば、それが横須賀の原風景ともいえる。
「昔は貧乏だったよ。食って行くのが精一杯の生活で金には苦労していたと思う。麦と雑穀、サツマイモばかりでさ、魚は採っても食えないんだ。みんな売っちゃったからさ。海には農家と違って決まったものがないから、仕方ないんだけど、大変だった」
 侘しい漁師町が変貌を遂げるきっかけとなったのは、戦争だった。
「海軍の工廠ができて、零戦を作るようになったんだ。海を埋め立て、浜がだんだん遠くなっていったんだ」
 戦争に備え、基地は拡張され工場ができていった。それでも、海は漁師たちには生活の場であり、子どもたちには遊び場であった。
「今は米軍に接収されている場所なんかは、子どもの頃はよく泳いだものだよ。アサリはいくらでも採れてな。漁を手伝うようになって、記憶に残っているのは、爺さんと海に出た時のことだな。タコ壷を海から上げる時、とにかくえらい重いから何かと思ったら、五キロもある大きなタコだったんだ。そんなタコは今じゃ採れないよ」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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