よみもの・連載

軍都と色街

第二章 大湊

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 私はそんな疑問を心に抱えながら、遊廓跡を歩いた。かつての遊廓跡の坂道を上っていくと、今風の民家にまじって、往時の雰囲気を漂わせた建物が数軒残っていた。それらの家には人が暮らしている気配があった。すでに夕飯時ということもあり、ドアホンを押すのは気が引けたので、後日訪ねてみることにした。
 坂道を上りきり、引き返していくと、眼下には闇が広がっている。おそらくそこには、陸奥湾が広がっているはずだ。見えない陸奥湾を眺めながら、ひとりの外国人女性のことを思い出した。
 今から二十年以上前に、南米のチリから来日して、体を売りながら十数億円という金を貢がせたアニータのことだ。今も時おり、日本のバラエティー番組に登場している彼女は、ここ大湊から陸奥湾を挟んだ浅虫温泉や青森市内で体を売っていた。
 世間からは悪女というレッテルを貼られているアニータ。私はかつてチリに暮らしているアニータの家を取材で訪ねたことがあった。詳しい話は拙著『娼婦たちから見た日本』で記しているのでここでは、繰り返さないが、二日にわたってインタビューをする中で、金にはがめつい所があったが、人に対する優しさを彼女から感じた。というのは、取材に対しても非常に協力的で、食事まで振舞ってくれ、さらには親族でもない無一文の母子を家に住まわせていたりと、強欲な女性というイメージとは違った一面を見たからである。
 アニータが日本で体を売ったのは、貧困から抜け出すためであった。シングルマザーであり、チリの首都サンティアゴの貧困地域に暮らしていた彼女は、日本で体を売れば人生に光が差すのではないかと思ったのだ。
 名古屋のストリップ劇場を手始めに、日本で体を売り続けた。今から二十年以上前、日本各地にはアニータのような外国人娼婦は数多くいた。その中でも、彼女ほど大金を貢がせた女性というのは、おそらくいないだろう。それでは、彼女が幸運だったから、大金を貢がせることができたのかというと、そうは思わない。
 私は彼女が持つ心根の優しさが、貢いだ男にそうしたい気持ちを思い起こさせたのだと思う。その当時、数多の外国人娼婦たちが貢いだ男の相手をしたというが、誰もがアニータほど金を貢いでもらっていない。男が選んだのは、アニータだった。
『飢餓海峡』の犬飼多吉も、貧困に喘(あえ)ぎながらも快活さを失っていなかった八重に金を渡したのだった。
 八重は殺害され、片やアニータは母国に帰りタレントとして成功し、私が取材した当時は、何不自由ない生活をしているという対照的な生き方をしていたが、売春に至った道筋と苦界から抜け出す過程というのは不思議と一致する。
『飢餓海峡』は、何も過去の話ではなく、現在進行形の話ではないかということを私は小松野遊廓跡を歩きながら思ったのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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