よみもの・連載

軍都と色街

第二章 大湊

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 翌日は、前日の雪模様の天気とは違って、晴れ間がのぞいていた。それでも雪国だけに、空気はぴりっと冷たい。
 小松野遊廓跡に着いて車を降り、坂道を上りはじめると眼下に陸奥湾、北西の方角には釜臥山が透き通った空の向こうになだらかな山容を見せている。
 一軒の趣のある日本建築の家の玄関に越前という表札が掲げられていた。
 家主に話が聞きたく、門を開けようとすると、
「どちらさんですか?」
 と、背後から声がした。振り向いた先に、初老の男性が立っていた。
 家主の男性だった。私は東京から小松野遊廓の取材に来たことを告げ、話を聞かせてもらえないかと言うと、男性は少し躊躇(ためら)っていたが、何度か懇願すると、首を縦に振ってくれたのだった。
「ここだと寒いから、こっちに来て下さい」
 そう言うと、男性は道の反対側にある自身が経営している掃除用具会社の事務所へと通してくれた。
「この場所は遊廓だったと思うんですが、あの建物は遊廓時代の建物なんですか?」
「全部というわけではないんですが、建て替えているところもあるので、一部は当時のままです」
「ほとんど当時の建物は残っていないですよね?」
「そうですね。昔は坂の両側に建物が残っていましたが、今ではうちともう一軒ぐらいじゃないでしょうか。ちょうど、うちの反対側に残っていた高砂という屋号の遊廓の建物で、『飢餓海峡』の撮影が行われたんです。その時遊女役をやった左幸子(ひだりさちこ)さんが、うちの家で撮影の合間に休憩したんですよ。近所のおばさんたちが、食事やお茶を出したりしていたのを覚えています」
 水上勉の小説を原作として映画化された内田吐夢監督の『飢餓海峡』は、小説の舞台となった大湊や舞鶴をロケ地として撮影され、大ヒットしたことで知られている。
「越前さんというのは、珍しいお名前ですね?」
「江戸時代のことになると思うんですけど、先祖が越前から来たからなんです。それで越前と名乗るようになったそうです。大湊には北前船が出入りしていたので、港の近くで商いをしていたようです」
「どのような商売をされていたんですか?」
「もともとは商人だったようですが、家が分かれていって、遊郭時代の商売をやるようになったと聞いています。明治時代に遊廓ができるということで、こちらに移ってきたみたいです」
 大湊という港町の歴史を感じさせる話だ。港にあった色街は、明治時代に入って旧日本海軍がやってくると、ここ小松野遊廓に集められたのだった。ここで大湊の色街の歴史を振り返ってみれば、おそらく畿内と北前船で結ばれた時代に、経済規模が大きくなり、色街が形成されたのだろう。中世から江戸時代にかけて起源を持つ日本各地にあった港町に付随する色街は、明治時代に水運から鉄道などの陸上輸送が主流になると衰えていく。しかし大湊は旧日本海軍の基地ができたことにより、命脈を保った。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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