よみもの・連載

軍都と色街

第二章 大湊

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 再び事務所へ戻ると、越前さんが、A3サイズの紙に写真入りで小松野遊廓と大湊の色街の起源について書かれた紙を見せてくれた。
 それは大湊の図書館に所蔵されている町史にも記されていない貴重なものだった。江戸時代から一族がこの地に暮らしてきた越前さんのネットワークによってこそ、作成可能なものといってもよかった。
 色街の歴史というのは、人間社会の歴史とともにありながら、軽んじられてきたといってもいい。実際に市史や町史によって、そんな歴史はなかったとでもいいたげにまったく触れられていない土地も少なくない。そうなると、残されているのは、人々の記憶の中だけである。当然人は生まれて死んでいく、どれだけの色街の記憶が時代の流れのなかで葬り去られたのであろうか。
 資料によれば、大湊の色街の起源は、江戸時代に北前船の寄港地として栄えたことに端を発する。その場所は現在の大湊上町あたりにあった七軒町になる。七軒町の色街は、小松野遊廓へと吸収されたわけだが、それでも色街のかすかな名残はあった。つい最近取り壊されてしまったが、石造りの立派な割烹の建物が存在していたのだ。後日、その場所へと足を運んでみたが、きれいさっぱり更地になっていた。

 越前さんの事務所からさらに坂を上っていくと、もう一軒遊廓時代のものと思われる建物が残っていた。
 住人に話を聞きたいと思い、ドアホンを鳴らすと、微(かす)かな足音とともに「はーい」という女性の声が聞こえてきて、ドアが静かに開いた。
 昨日からの聞き込みで、この家がかつての遊廓経営者であることを聞いていた。単刀直入に遊廓時代の話を聞かせてもらえないかと、申し出た。
「はぁー。その話ですか。私に聞かれても困ってしまいます。それでしたら、主人に聞いてもらった方がいいです」
 女性の夫にあたる家主は留守だという。もうしばらくしたら帰って来るというが、話を聞くなら後日にして欲しいという。
「一度、その話をはじめると、止まらなくなります。もうそろそろ夕食の時間ですので、困ってしまいます」
 私もゆっくり話を聞けるに越したことはない。明日の朝、再訪することにしてこの日は家を後にした。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number