よみもの・連載

軍都と色街

第二章 大湊

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 田名部遊廓跡は、現在飲み屋街となっている。田名部川のほとり横迎町と呼ばれる土地にあった。
「へぇー、この辺が遊廓だったんですか」
 少しでも過去の話を聞けないかと思って一軒の寿司屋に入ったが、返って来た答えに少し拍子抜けしてしまった。
 店の経営者は六十代のご夫婦だったが、そんな話は初耳だという。遊廓跡を歩けば、そうした話を拒絶する人も少なくないが、ご夫婦からはいやがる雰囲気などまったく感じない。遊郭の話の代わりに私が聞いたのは、恐山にまつわる怪奇譚であった。
 売春防止法の完全施行が一九五六(昭和三十三)年であるから、すでに赤線が消えてから六十年以上の年月が過ぎている。全国各地の色街を歩くなかで、その記憶が消えつつあることを事あるごとに思い知らされるが、ここ田名部でもそのことを痛切に感じずにはいられなかった。
 赤線時代の話を聞けるのは、あと十年も残されていないのではないか。

 翌朝ホテルの窓から外を眺めてみると、昨日の晴れ間が嘘のように、一転して猛吹雪であった。準備を整えて、駐車場に行くと、車のフロントガラスは、雪で真っ白になっていた。雪を手で払いのけてから、車を走らせた。
 遊廓経営をしていた家へ伺うと、がっちりとして体格の良い男性が待っていてくれた。
「これは、いらっしゃい。以前も遊廓の話が聞きたいと、東京から人が訪ねてきたことがあったんだ。昨日、訪ねてもらった時は、ジムに行っていたんです。もう仕事はリタイアしているので、毎日ジムに通っているんだ」
 道理で、血色がよく、体が締まっているわけだ。
「さぁ、入ってください」
 私が通されたのは、遊廓時代に家人が使っていた部屋だった。日本庭園に面した十畳ほどの部屋で、下は池になっていた。いわゆる釣殿である。
 家主の名前は原田真人さん。昭和十九年の生まれで、七十四歳になる。
 部屋の北側には仏壇、その左手には、時代を感じさせるモノクロ写真が私を見下ろしている。私の視線に気がついたのか。写真について話してくれた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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