よみもの・連載

軍都と色街

第二章 大湊

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 昭和三十三年三月三十一日をもって、日本全国の赤線地帯は売春防止法の施行から一年の猶予期間を経て完全に幕を閉じることとなったが、その四日前にみささんは、感謝の思いを伝える新聞広告を出したのだった。
 そこには、当局の指導によりという言葉のみで、自身の生業については詳しく記していない。ただ大湊の人間であるならば、新町という地名を目にすれば、その広告が意味することを理解していた。
 私は売春防止法が施行される前夜、娼婦たちが万歳をする写真や吉原の様子を写した写真記事などは見たことがあったが、赤線の経営者自らが出した新聞広告というのは初見であった。
 この広告から窺えるのは、原田みさという人物の義理堅さとともに、軍都であった大湊において、赤線は日常生活の一部とまでは言わないが、軍隊を支える経済活動の一環として、認知されていたということだ。
 原田さんが見せてくれた映像では、最後はみささんの葬儀シーンが流れた。参列者の中には自衛隊の幹部も少なくなかった。売春を生業としなくなった後も、自衛隊員たちの下宿として、自衛隊と関わり続けたことや旧海軍時代からの付き合いなどもあり、自衛隊の幹部たちが葬儀に足を運んだのだ。葬儀の映像からも軍都における色街と軍隊の密接な関係というものが浮かびあがってきた。
 日本海軍の軍都として色街が形成され、日本の敗戦とともに色街は消えていった。原田さん宅を出ると、粉雪が舞う向こうに陸奥湾が見えた。今では住宅街となっている小松野遊廓跡を歩きながら、軍都における色街の存在について、他の土地ではどのように結びついていたのか、ますます知りたいという思いにかられた。
 小松野遊廓の根っこを辿っていくと北前船に行き着く、その北前船が出たのが越前さんの出身地である北陸であり、さらに西に向かうと『飢餓海峡』の舞台となった舞鶴である。
 鉛色の陸奥湾の先にあるまだ見ぬ舞鶴のことを思った。果たして、どんな色街があったのだろうかと。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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