よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 スナックビルの一階には、タイ人の女性たちが故郷へ電話をかけるために買った国際テレフォンカードの自動販売機だけが今も置かれていた。スナックビルから歩いて五分もかからない場所には、タイレストランやラブホテルがあったはずだ。そこにも足を運んでみると、ラブホテルはゲートが閉まったままで潰れていた。タイレストランもタイの国旗が風に揺らめいているだけで、人の気配がなかった。
 潰れたラブホテルの隣にアパートがあった。そこに暮らしながら、バーを経営しているという男性に話を聞くことができた。
「昼間は畑で働いて、夜はスナックで働いているタイ人の女の子たちがこのアパートにもいましたが、今はいなくなっちゃいましたね。どこへ行ったんでしょうか」
 タイ人女性たちの近況を伝えてくれたあと、なぜか男性は自分自身のことについて話しはじめた。
「私は性同一性障害を抱えていて、そうした人たちが集まる場所を作りたかったんです。それで場所を探している時に、賃料も高くなくていい物件があったんです」
 日本社会の片隅に暮らしていたタイ人娼婦たちは、警察の摘発によって他の場所へと流れていき、ぽっかりと空いた空間に、やはり社会の中で息苦しさを感じている男性がやって来た。彼の口ぶりからは、タイ人女性たちに対する親近感のようなものが伝わってくるのだった。
 人には自分より社会的に蔑まれる人々を前にした時、大雑把にいって二つのタイプがいると私は思う。その相手を下に見て心の隙間を埋めるタイプと、その相手に寄り添って、言葉だけではなく心を通わせようというタイプである。私の目の前にいる男性は、もちろん後者である。
 私は二〇〇〇年代の初頭から、十年近くタイ人娼婦たちの取材を続けたことがあった。彼女たちは、売春を生業とし、その多くが不法滞在者であったことから、日常からは見えづらい場所で暮らしていた。当然ながら、売春地帯の周辺に暮らす日本人からは、快く思われてはいなかった。ただ、実際に彼女たちと接してみると、私が知る限り、その多くはタイ東北部の貧しいことで知られるイサーン地方の農村の出身で、経済的に貧しい家庭を助けるために日本に働きに来ていた。自分自身のためではなく、家族のために体を売っていたのだった。彼女たちはできることなら、売春などしたくないと思っていた。それでも、家族を思い身を捧げていたのだった。身辺を取材させてもらうと、暮らしている部屋や身につけていた財布には、必ず両親か子供の写真が入っていた。
 いつしかタイに帰って、体を売らなくても暮らせる日々を夢見て、日本で生きていた。おそらく、男性はタイ人女性たちのそうした姿と性同一性障害という病を抱えて生きる自分を重ねていたのではないだろうか。
 色街というのは、過去から現在まで悪所という言葉で一括(ひとくく)りにされてしまうことが多いが、社会が救済することができない魂を受け止めるシェルターのような役割もあると私は思っている。一九七〇年代の後半から、二〇〇〇年代初頭にかけて、日本全国でじゃぱゆきさんと呼ばれたタイや南米出身の女性たちの多くが春を売った。彼女たちは日本で体を売ることにより、祖国では手に入れられない現金を得ることができた。それは犯罪行為ではあるが、そこまですることによって、祖国では得ることができなかった経済的な豊かさを手に入れることが可能だった。すべての女性が成功したわけではないが、少なからぬ人々が貧困からは抜け出せたのだ。
 自国の社会では救済されることはなく、タイとは経済格差のある日本の色街で自分を犠牲にしたからこそ為(な)し得たことなのだ。彼女たちを人身売買の被害者という側面だけで考えてしまうと、見えない世界がそこにはある。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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