よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 軽井沢からもほど近く、風光明媚なこの土地でタイ人の娼婦たちが体を売っていた理由についてふれておきたい。
 太平洋戦争中、戦局の悪化とともに、ここ御代田周辺には京浜工業地帯から米軍の空襲を避けるため軍需工場が疎開してきた。戦争が終わると、軍需工場は時計などの精密部品を作る工場に切り替わった。戦後の経済発展とともに労働人口が増えると、歓楽街が形成され、じゃぱゆきさんの流入がはじまり、タイ人の女たちが働くようになったのだ。
 それと長野県は風俗店の営業が禁止されているので、ソープランドは存在しない。売春を提供する場として、スナックが利用されるようになったのだ、じゃぱゆきさんのフィリピン人女性と在日二世のタクシー運転手の恋を描いた『月はどっちに出ている』という映画があるが、物語の最後、タクシー運転手と破局したフィリピン人女性が向かうのは、松本のスナックである。そのシーンは、じゃぱゆきさんがスナックで多く働いていたことを物語っている。ちなみに日本で外国人のHIV感染者が発覚したのは、松本市在住のフィリピン人である。そのことが公になったのは一九八六(昭和六十一)年十一月、フィリピンではコラソン・アキノを支持するピープルズ・パワーによりマルコス独裁体制が倒れた年だった。
 御代田のある佐久地方には、作家水上勉の遺作でタイ人女性と地元の男たちとの交流を描いた『花畑』という作品がある。舞台となったのは中込という街だが、そこのスナック街にも今はタイ人娼婦たちの姿はない。軍都と色街を巡る取材において、青森県の大湊(おおみなと)を訪ねているが、その土地に惹かれたのは、水上勉の作品『飢餓海峡』の影響が大きい。水上は、娼婦と犯罪者の生き様を描いているが、両者とも社会の日陰を歩いたものたちである。それから数十年の時を経て、晩年の水上が見つめたのが、タイ人の娼婦たちの姿だった。やはり彼女たちも不法滞在の流れ者で、日本の色街から色街へ漂泊する存在だ。水上のぶれない視点に、敬意を感じるとともに、色街の取材を続けていくと、どうしても彼の存在がどこからともなく浮かび上がってきて、彼に導かれているような気になってくるのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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