よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 軽井沢追分宿の飯盛女たちが移った岩村田遊廓は、一八八九(明治二十二)年に開業している。今や避暑地として知られ、周辺には別荘が建ち並ぶ軽井沢駅が営業を開始したのは、一八八八(明治二十一)年のことだから、ちょうど一年後には移転していることになる。
 遊廓は岩村田の町の外れにあった。目の前に湯川という川が流れていて、対岸の段丘には鼻顔(はなづら)神社という稲荷がある。鼻顔神社は桶狭間の戦いがあった戦国時代の永禄(えいろく)年間に創建されていて、佐久地方ばかりではなく県境を越えて近隣の県から参拝者が訪れるほど名が知られた神社である。神社の前に遊廓ができたことにより、参拝客がさらに増加し、周辺には商店などの商業施設ができ、地域の経済は活性化したのだった。
 一九三〇(昭和五)年の記録によれば、貸座敷は十軒、五、六十人の娼婦がいたという。現在その場所を訪ねてみると、駐車場と住宅街になっていて、当時の建物は何も残っていない。残っていたのは、遊廓の大門に使われていた一対の柱だけだった。
 大門の跡の側には、洋服や菓子などを置いている雑貨屋があった。私は門前払いを承知で遊廓のことを尋ねてみたいと思った。
 店には、柔和な顔をした女性の姿があった。一本の缶コーヒーを買ってから、女性に問いかけてみた。
「いきなり、こんなことを聞くのは、大変失礼ですが、ちょうどこの辺りが遊廓だったと聞いています。何かご存知のことはございますか?」
 その言葉に女性の表情は歪(ゆが)むことはなかった。むしろ嬉しそうに答えてくれたのだった。
「うちの父親によれば、この店は、遊廓に酒を卸していたって話ですよ。だけど私が物心ついた時には、もう遊廓の建物はなかったですからね。ただ名残はありましたよ。まだ遊廓に植えられていた松林が残っていました」
 岩村田遊廓は太平洋戦争が始まる前年、一九四〇(昭和十五)年に無くなっている。女性に年齢を尋ねたら、一九三九(昭和十四)年の生まれだという。
「見たことがない景色ですけど、人はたくさん来たとは聞いてますよ。遊廓の女性に入れあげて身代を潰したなんて話もあったみたいですね。父親はお酒を卸していたぐらいですから、いろいろ事情にも詳しかったと思いますが、とっくに亡くなっていますからね。生きていたら喜んでいろんな話をしてくれたと思いますよ」
 私は礼を言って、店を後にすると遊廓跡に足を運んだ。数日前に雨でも降ったのだろうか、ところどころに水溜まりができていて、その向こうにかつての松林の名残か、三本の松が今も根を下ろしていた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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