よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「そうや、この建物も昔の遊び場だったさかい。中にはこまい部屋がようけあるんですよ。間取りは当時と変わってないはずですわ。ひと部屋、ひと部屋違う間取りになっているんや。この通りの家はほとんど新しい家になってしまってるけどな」
 私たちが立っている目の前にある木造のアパートが遊廓だったという。思いもしない証言だった。
「当時のことで、何か知っていることはありますか?」
「私はその時代にここにいなかったので、聞いた話ですけど、海軍さんがいなくなってから、しばらく自衛隊相手にも商売していたと聞いていますが、今じゃこの通り、普通のアパートです」
「ここに住んでいらっしゃるんですか?」
 男性は頷(うなず)くと、家賃は二万円だと教えてくれた。建物は二階建てで、部屋の数は二十近くあるという。
「どのくらいお住まいなんですか?」
 あまり言いたくないのだろう。ぼそっとつぶやくように言った。
「もう二十年くらい住んどる」
 ふと、玄関の鴨居(かもい)の上の壁にはめ込んである看板が目にはいった。何とアパートの屋号は乙姫荘となっていた。竜宮城で浦島太郎をもてなした乙姫を屋号に使っていることからも、かつて遊廓であったことは、間違いないだろう。
 遊廓の名前だけでなく、店の屋号までにも遊び心が溢(あふ)れている。どのような浦島太郎たちが、この場所で遊んだのだろうか。
 一九〇二(明治三十五)年に遊廓が営業を開始、その三年後にはバルチック艦隊を破った日本海海戦が起きているが、そこに身を投じた水兵たちも、登楼したことだろう。百二十年近く前のことであるが、この乙姫という屋号が、歴史を身近なものに感じさせてくれた。
 住民にとっては迷惑な話だが、私にとって大変貴重な機会であるので、図々しいお願いをしてみた。
「ちょっと部屋を見せてもらってもいいですか?」
 さすがに男性は、「それはちょっとな。片付いてないからな。部屋の広さは六畳ほどや」と言って、やんわりと拒んだ。
「ちょっとアパートの中だけでもいいですか?」
 すると、「中ぐらいええでしょう」といって、おそらく男性は大家さんではないと思うが、私がアパートに入ることを了承してくれた。
 玄関から入ると、左手には部屋番号が書かれた下駄箱(げたばこ)があった。その数は、十七部屋ほどだった。部屋数は二十近くあると男性は言ったが、おそらく内部は細々として正確な部屋の数はわからないのだろう。その下駄箱の横は小さな物置になっていて、釣竿(つりざお)が置いてあった。そこに目をやると、男性が後ろから言った。
「そこは、遊び場だった時代に、受付になってたみたいや。今じゃ何の面影もないけどな」
 土間の先には薄暗い廊下が伸び、左右には襖(ふすま)で仕切られた部屋がある、奥には二階に上がる階段が見えた。
 靴を脱ぎ、アパートに足を踏み入れると、じめっとした湿気を帯びた床が微(かす)かに沈み、ミシッという嫌な音を立てた。数えきれない男たちが行き交ったことをその音は物語っているように思えた。廊下は歩くたびにミシミシという音と場所によってはギーという悲鳴をあげた。一階の部屋からは生活音がして来ない。
「一階には誰も住んでないんですか?」
「下はもう部屋が開かんようになっている、住んでいるのは二階の部屋だけや」
 アパートから出ると、男性がこちらから尋ねたわけでもないのに、話しはじめた。
「ここは、もうあかんようになるで。台風と高潮が重なったら、道路は使えなくなるし、この廊下あたりまで水が来るんや。床上浸水や。もう長くないやろな」
 廊下が湿っていて、沈み込み、誰も暮らしていないわけが、その説明でわかった。遊廓時代にも床上浸水したかどうか定かではないが、まさに浮島の如し。思わず「本当に竜宮城」ですねと呟(つぶや)いてしまった。男性はその言葉を聞いていなかったのか、理解しなかったのか、何の反応も示さなかった。
 この建物で体を売っていた女たちの姿はすでになく、ここに住むひとり男と東京から訪ねてきた私が、往時のことを話している。何だか不思議な気分になる。
 私は男性に礼を言ってから、その場を去った。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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