よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 遊廓だったアパートから五十メートルほど歩いた場所に、やはり先ほどのアパートと同じような作りをした建物があった。遊廓と思しき建物の裏側は建て増しされていて、二階建ての住宅がくっついていた。
 しばし建物を眺めていると、住人らしき男性が、建物から出て来た。
「すいません。東京から来て遊廓だった頃のことを調べているんですが?」
 男性は、いきなりそんなことを聞かれ、戸惑ったような表情で私の方を見た。
「そうですね。港があるところには、そういった街がつきものですからね」
 進んで話したそうでもなかったが、まったく拒絶しているようにも思えず、私は話を続けた。
「目の前の建物は遊廓だったんですかね?」
「この建物もそうだったんじゃないかな。狭い六畳ぐらいの部屋がたくさんあるんです。だいたい百年は経(た)っているんじゃないですかね。床なんかもいつ抜けてもおかしくない状況になっています」
「この建物にはお住まいにはなっておられないんですか?」
「見てもらえばわかりますが、建て増し、建て増しでできているでしょう。そっちには住んでないんですよ。私の家は、この建て増しした部分だけなんですよ。そちらは別の人の名義になっているんです。私が小さい頃には、遊廓の建物はたくさん残っていたんですけどね」
「こちらでお生まれになったわけではないんですか?」
「いや違うんですよ。私はもう少し山の手の生まれでした。ただこの辺りのことは知っていたんです。同級生がこの通りに住んでいたんで、よく遊びに来たんです。昔は、川の目の前まで、びっちり小さい家が建っていて、言ってみればバラックみたいな家が多くて異様な雰囲気だったんですよ。在日の人も多かったですよ。舞鶴は軍関係の仕事をやっていた在日の人が多くて、赤レンガ倉庫の辺りには、特に多く住んでいました。私は中舞鶴の出身なんです。父親が海軍の軍人で、復員してから、そのまま舞鶴に住んだんです」
「ちなみにこちらに住んでいた同級生の方のご家族は遊廓の経営者だったんですか?」
「いやいや、違うんですよ。お父さんは陸軍のお偉いさんで、こちらに復員してきて、ここで家と土地を買ったんです」
「売春防止法が施行されるまで、ここで売春が行われていたと本には書いてあったりしますが、それ以降は行われなかったんですかね?」
「いや、その法律より早く無くなったんとちゃいますか。戦後は遊廓の建物を自衛隊の若い人向けに下宿にしたなんて聞いてますけど、売春の話は聞いたことはないですよ。ここだけではなくて、舞鶴という街自体も海軍さんがいなくなって、一気にしょぼくれてしまったと思います」
 遊廓から自衛隊の下宿へ。どこかで聞いた話である。そう、大湊の遊廓で貴重な話を聞かせてもらった新盛楼の一族は、売春防止法が施行された後、下宿屋へと転業している。
『全国遊廓案内』によれば、全盛時には三百四十五人もの娼妓が竜宮遊廓にはいたという。それだけ多くの部屋があったということであり、下宿屋にするにはうってつけだ。
 ただ時代とともに下宿屋を利用する若い自衛官はいなくなり、今では空家となって、朽ち果てるがままになっている。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number