よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 ここ舞鶴には六十六万人が大陸から引き揚げてきたという。
 復員した兵士たちは、ここから新たな人生を築いていったわけだが、一方で舞鶴は一九四四(昭和十九)年にはじまった日本軍の特攻作戦、神風特別攻撃隊敷島隊の一員として、フィリピン・ルソン島から最初に出撃した谷暢夫さんの育った土地でもある。
 国に命を捧げた者とこれからも新たな人生を歩もうという者が行き交った街でもあった。

 田島さんのご家族が大事に保管していたお祖父さんの手記を舞鶴の旅が終わってから、少し経って田島さんが送ってくれた。やはりお祖父さんは、舞鶴に復員していたという。その手記を読んでみると、満州第十六野戦自動車廠(しょう)に所属していたことがわかった。手記のほとんどは満州時代のことで占められていて、シベリアに関する記述はわずか四行である。


”その後のシベリヤの生活は決して楽なものではなかったが、これとて年月というベールに包まれると苦しかったことよりも楽しかったことの方が多く思い出されるのはどういうことだろうか。いつかまた楽しかった思い出を記す機会があるだろうか。しかし思い出すと辛いのは大勢の友がすでにこの世にいないことが残念である。

平成五年九月三十日”



 私の方でも、満州第十六野戦自動車廠が発行していた「戦友会だより」を手にいれてみたが、そこにも田島さんのお祖父さんの手記が掲載されていた。記されていたのは、満州時代に美しい花が野を埋め尽くしたことや裏山で本を読んだことが楽しい時間であったということだった。
 それらの手記から勝手な判断をするに、かなり過酷なシベリアでの日々を過ごされたに違いない。
 シベリアでの抑留を終えて、日本の山やこの穏やかな海を眺めた時の感動は、言葉には言い尽くせないものがあっただろう。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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