よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 この桟橋で日本での新しい第一歩を踏みしめたのは、兵隊ばかりではなく民間人もいた。満州には明治時代からからゆきさんと呼ばれた日本人娼婦たちも多かった。その彼女たちが、戦後の混乱期にどのような運命を辿(たど)ったのか、社会の日陰に生きた人々だっただけに私が知る限り、彼女たちによって記された記録を読んだことはない。
 一九三六(昭和十一)年に刊行された『まんしう事情』には娘子軍(じょうしぐん)とも呼ばれた、からゆきさんたちに関する記述がある。ちょっと長くなるが、軍隊と鉄道の関係にも絡むことなので引用したい。


”辺陬(へんすう)の地が拓かれるとき、同時に、いや時には前以て地を占領してゐるといふ素早いのは娘子軍だ。たゞ此等が対象とならないのは農業移住地だけだ。熱河挺身隊が一日一城を陥れる早さで、トラツク隊の列が南下した。その後輜重トラツクが通る、商人のトラツクの荷物の中には生物もゐた、どうもこれは兵隊さんの引力もあらうといふ、将校が思ひやりで黙認するらしい。
 鉄道建設の為に現業本部が出来る。其処(そこ)は家らしい家は見えないが人の混雑する、バラックの都会が出来る。板張り間口三間くらゐ、奥行これに準ずる何々ホテル。棒杭の上に板を渡した―高い方がテーブル、低い方が椅子といふカフエーなどが出現する。ビール一円は廉(やす)い方といふ次第。北満といつても哈爾濱(ハルビン)は別として、こんな新開地若(もし)くは小さい町の宿は原則として兼業である。要求の然らしむるところなのであらう。何の兼業かは読者の第何感かで分る筈だ。
 斯(こ)うした町でも芸者といふものはやはり髪は国粋派である。髪結女なんてゐないが誰かゞ恰好をつけるらしい。道は凸凹でも、土埃が何寸の中でも、夜は街燈一つ無からうが招きに応じて出てゆく、若し夫(そ)れが雨が降らうなら、其日とあと二三日はゴム長靴を履いて、褄をまくつて泥を渡りなさる、正に壮観である。随分酔払うがなかなか帰りに泥漬にはならぬといふ。此頃は田舎でも日本人が居るが建国以前は北鉄沿線の小駅の宿など一年の投宿者何人もない、そんな地にも女は朝鮮人が多いが内地人もまた相当居た。これ等は偶(たま)に見る日本人には力(つと)めて会はせないやうにしてゐた。低級なのを対手(あいて)だから恥しいだらうと思ふとさうではない、業主の政策の然らしむる所で、女等に郷国をなつかしめさせないといふ深謀遠慮の次第だ。”(ルビ 編集部)


 私は満州と呼ばれた地には足を運んだことはないが、記述を読んでも広漠たる土地で彼女たちが体を売っていたことがわかる。鉄道の敷設現場に掘っ立て小屋を建てて、体を売ったという記述が生々しい、そう考えると彼女たちも日本の近代化の歯車の一部であった。いつか満州に足を運んで野に斃(たお)れた名も無き花たちに手を合わせたいと思った。
 満州の野で男たちを慰めた女たちのうち、どれだけの人が舞鶴の桟橋に立つことができたのか。
 あらためて、あの穏やかな海と満州の荒野が見えない糸で結ばれていたことを噛(か)みしめる。人が生きるということは如何に厳しいものなのか、胸に刻み込んだのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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