よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 仕事柄、日本各地を歩いてきたが、鹿児島を訪ねるのは二十年ぶりだった。その当時まだ二十代だった私は、写真週刊誌のカメラマンをしていて、毎週のように事件を追いかけて日本各地を飛び回っていた。その時の鹿児島取材も慌ただしいもので、福岡からレンタカーを走らせて、鹿児島に入り、翌日には福岡にとんぼ返りした。何の取材をしたのかはっきりと覚えてはおらず、漆黒の森に囲まれていた夜の九州自動車道と、滞在したホテルが天文館にあり、同僚のカメラマンとキャバクラに行ったことぐらいしか覚えていない。
 思えば何とも、勿体(もったい)ない時間の使い方をしていたなと思う。
 ただ、あの頃はいい写真を撮りたいなという思いばかりで、訪ねた土地の風土にまで心を寄せる余裕などまったくなかった。写真週刊誌のカメラマンになる前、バックパックひとつで、アジアをふらつき、心地よいなと思った土地には数ヶ月単位で滞在していたこともあり、土地から土地へと目まぐるしく流れなければならない写真週刊誌のカメラマンという仕事にストレスを感じていたことも確かだった。
 割り切って仕事ができる人であれば、こなしていけるのだろうが、時には引きずってしまう事件と出会うこともあり、もう少し取材をしたいなという思いが、心の奥底に澱(おり)のように溜まっていき、何の当ても無かったが、五年で私は区切りをつけることにした。
 それから、私は色街を歩くということをテーマにしながら、今日まで限りなく低空飛行ではあるが、フリーランスとして何とか食いつないできた。
 羽田発鹿児島行きの飛行機に乗って一時間半ほど経(た)っただろうか、雲の切れ間から雨に煙る鹿児島の台地が目に入ってきた。かつてゆっくりと眺めることはなかった景色を目にしながら、何だか軍都と色街の取材というよりは、二十年前の自分に会いにきたような気がした。
 今回の旅にも集英社の田島さんが同行してくれていた。空港でレンタカーを借りて、まずは鹿児島市内へと向かうことにした。
 鹿児島、太平洋戦争という言葉から私が連想するのは、特攻という言葉である。私たちが降り立った鹿児島空港からほど近い場所には、海軍の第二国分基地があり、一九四五(昭和二十)年には、神風特別攻撃隊が飛び立ち、百四十七名が戦死している。
 鹿児島では、特攻機が出撃し、多くの若者たちの命が失われた知覧(ちらん)と鹿屋(かのや)を歩いてみたいと思っていた。特攻隊が飛び立った二つの基地は、それ以前から陸軍や海軍の飛行場があり、鹿屋に関しては遊廓も存在していて、軍隊と色街の繋(つな)がりは濃密であった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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