よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 霧島市にある鹿児島空港は、火山灰が堆積してできた南九州特有のシラス台地にある。周囲は茶畑やサツマイモ畑などの農地が広がっているが、江戸時代に開拓されるまで、その多くは不毛の土地だったという。
 シラス台地の頂上部は、平坦な土地が広がっているものの水に乏しく、農作物はおろか人が暮らすことも困難だった。シラス台地が開発されるきっかけとなったのは、琉球から十七世紀にもたらされたサツマイモだった。
 サツマイモの原産地は、乾燥地帯の南米アンデス地方なので、乾燥にはめっぽう強く、水資源が豊富でないシラス台地でも容易に栽培できたのだった。
 江戸時代前期、薩摩藩の人口は約三十万人であったが、幕末には約六十二万人まで増加している。サツマイモ栽培によって安定的に栄養が取れたことも大きな要因であった。
 今では、日本中どこでも食べられているサツマイモであるが、アンデス地方のローカルフードが、世界中へと広まるきっかけとなったのは、スペインによる中南米への侵略行為であった。アステカ帝国、インカ帝国など各地の文明を滅ぼした軍事行動が、一方では食文化を広め、人口の増加だけでなく、日本では江戸時代に発生した飢饉(ききん)から人々の命を救ったことが、歴史の皮肉に思えてならない。
 スペインの侵略は、サツマイモだけでなく、一説には最近日本で再び流行の兆しを見せている性病の梅毒ももたらしたとされている。梅毒の起源には諸説あって、古くからヨーロッパやアフリカなどに存在したという説もあるが、スペインやポルトガルと本格的に交流する十六世紀以前の日本では、梅毒を患った形跡のある遺骨は発見されておらず、それ以降に流行し、加藤清正などの名だたる戦国武将も梅毒で亡くなっていたといわれていることなどから、中南米からもたらされたとされるのが、定説となっている。
 梅毒の主な感染ルートは性行為であり、各地に遊廓ができ、五街道を中心に街道が整備された江戸時代には、梅毒が蔓延(まんえん)する条件が揃っていたともいえる。幕末に活躍し、戊辰(ぼしん)戦争にも従軍した松本良順は、自身の著書『養生法』の中で、江戸の下層階級の人々のうち百人中九十五人は梅毒を患っているとも記している。さらに、『解体新書』で知られる杉田玄白も診察した千人の患者のうち、七百人から八百人は梅毒だとも言っていて、当時は特効薬が無かったこともあり梅毒患者で溢(あふ)れていたのだろう。
 梅毒が不治の病であっても、男たちは娼婦を買うことを躊躇(ためら)わなかった。吉原遊廓だけでなく、幕府から認められていなかった岡場所、さらには夜な夜な路上で客を引いた夜鷹など、数多の娼婦が江戸にはいた。
 夜鷹の巣窟だったのは、両国の吉田町で、梅毒に関する川柳も残っている。

 “安ものの鼻うしないは吉田町”

 最下層の娼婦であった夜鷹は梅毒に感染している者が多く、梅毒に感染すると鼻が落ちることからそう歌われた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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