よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

特攻の街、知覧へ


 鹿児島市内から知覧へと車を走らせた。知覧に近づくにつれて、どんよりと曇った空から時おりぱらぱらと小雨が落ちてきて地面を濡らした。
 知覧に着いたのは夕方だったこともあり、知覧特攻平和会館は、閉館ぎりぎりだった。急ぎ足で見て回ると、死を前にした特攻隊員たちが残していった遺書が目に止まった。
 中でも沖縄洋上で戦死した穴澤利夫大尉の手紙を読んでいたら、熱いものが込み上げてきた。その手紙は恋人である智恵子さんに宛てたものだった。
 自分が戦死したあとは、過去に拘らず生きて欲しい、勇気を持って新しい生活を営んで欲しいという胸の内を綴ったあと、このように締めくくられていた。

”智恵子に会いたい、話したい、無性に。今後は明るく朗らかに。自分も負けずに、朗らかに笑って征く。”

 心の清々しさと、文字の美しさに目を奪われた。この手紙は、特攻の悲惨さを伝えるだけではなく、不謹慎かもしれないが、戦争が生みだした崇高な芸術作品のようにも思えた。
 人間は、自分の意思ではもはや死から逃れることができない状況に追い込まれた時、邪念が抜け心は波一つ立っていない水面のように穏やかなものとなるのではないか。
 資料館を出るとすでに日は暮れかかっていた。知覧の飛行場は、一九四二(昭和十七)年、陸軍の飛行場として開設された。
 それから三年の月日を経て、特攻隊が出撃していくことになる。特攻隊員たちは、十代から二十代の若者たちだった。そんな彼らを見送ったのが、なでしこ隊と呼ばれた同年代の少女たちだった。
 この日、天気が悪かったこともあり、晴れていれば目に入ってくるはずの開聞岳(かいもんだけ)はどこにも見えなかった。特攻機は、開聞岳に向かって飛び立ち、翼を三回振る別れの挨拶をして、戦場へと向かっていった。
 知覧から沖縄へは、二百五十キロ爆弾を積んだ陸軍の戦闘機隼で二時間ほどだったという。日々、漫然と時を過ごしている私からしてみれば、想像のしようもないが、特攻隊員たちの胸には、どのような思いが去来していたのだろうか。
 しばし、沖縄の方向に目をやると、心の中で手を合わせた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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