よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 話を聞いた女性に、誰か当時のことについて、詳しい人はいないかと尋ねてみると、一九三一(昭和六)年生まれの人が経営している理髪店があると言った。
 その理髪店は、内村旅館の跡地の駐車場からほど近い場所にあった。すでに外は真っ暗だったが、店内には明かりがついていて、女性が教えてくれた店主と思われる男性がいた。
 理髪店は人が集まるだけではなく、店主と接している時間も長いことから、入ってくる情報も少なくない。幸いにも客はおらずいい話が聞けるのではないかと思った。
「すいません。知覧のことを取材して歩いている者なんですが」
 理髪店のドアを開けて、男性に話しかけると、他所者(よそもの)の私を特に訝(いぶか)しがることもなく、問いかけてきた。
「知覧のことってどういうこと?」
「昔の話なんですけど、戦争中のことです。トメさんの食堂などもありましたよね。特攻隊の方たちについて、どんなご記憶があるのかなと思って、ぜひお話を聞いてみたかったんです。そうなると若い方では知らないことなので、お願いできないでしょうか?」
「なんでまた、ここに来たの?」
「生き字引だということを、ご近所の方から聞いたんです」
 男性は苦笑いを浮かべながら、「もう俺より年上の人はいないからな。だけど俺が詳しいかどうかはわからないよ」と呟いた。男性は女性の言う通り、昭和六年の生まれで、知覧で生まれ育ったという。そして、快く取材にも応じてくれることになった。
 店内に入ると、セピア色に変色した一枚のモノクロ写真が目についた。それは軍服姿の男たちが数人、髭を剃ってもらっていたり、髪を切ってもらっているものだった。
「それは、うちの親父が基地の中へ、兵隊たちの髪を切りに行った時に撮ったものなんですよ。基地ができてから、頼まれてちょくちょく行ってたんですよ」
「特攻隊の人などの髪も切っていたんですかね?」
「そうそう。出撃する前の人の髪も切っていたみたいだよ」
 何気なく飾られている一枚の写真の謂(いわ)れを聞いただけで、さらにどんな話が出てくるのか、私の胸は弥(いや)が上にも高鳴った。
「ご主人は特攻隊の方々の記憶はあるんですか?」
「特攻隊の連中っていうのは、そうだなぁ、十七、八歳の人たちも多くいたでしょう。俺はその頃十四、五歳か。今で言うたら中学校一年生だ。弟みたいなもんだったのかな。当時は出撃する連中は全員が旅館に泊まれないから、分散してこの辺の家に宿泊したんですよ。うちなんかも何人か来たですよ」
「出発する前日ですか?」
「うん、出発の前に」
「何か覚えておられることはありますか? 出撃を控えて、落ち込んでいたのか、明るくふるまっていたのか、どんな感じなんですか?」
「いや、そんなに心配したような顔じゃなく、うちのおやじが、焼酎よく飲んだもんだからね。みんなに焼酎飲まして、明日どうせお別れだからってね。みんなここでプロペラを回す起動車を待っているんですよ。その起動車で迎えに来よったですよ。それで五人とか十人とか乗せて連れていくんです」
「迎えに来るのは、日の出前の早朝なんですか?」
「いやいや、いつでも来るねん。夜中でも関係ないです」
「ほんとうに貴重な時間だったんですね、彼らからしてみたら。こちらに何か手紙とか一筆書いたり残していかれたんですか?」
「いや、そういうのは何も無いな」
 男性の話からは、トメさんの富屋食堂ばかりではなく、知覧という町全体で特攻隊を見送っていたことが窺えた。私が今話を聞いている場所では、七十五年ほど前、二十歳を前にした青年たちが、今生の別れの宴を開いていた。明るく去っていったという彼らは、心の中に多くの葛藤を抱えていたことだろう。生きたかったことだろう。
 同じ日本という国で生まれ育ち、彼らの姿を忘れてはいけないと深く思った。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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