よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

「アメリカ人に対する印象も戦中と戦後では変わっていくんですね?」
「戦時中は、アメリカ人は大嫌いだったけれども、ほんとうに大嫌いだったけれども、終戦になってアメリカ兵が来たら、もう、ころっとひっくり返る。トメさんだって、アメリカ人と、知覧のお寺で写真なんかも撮っておるでしょ」
 男性によれば、知覧には戦後になって、米兵相手に体を売る女もいたが、米兵相手の色街が形成されることはなかったという。ただ、米軍が進駐した日本の各都市と同じようにここ特攻の町においても、アメリカ人への心象は戦中と戦後では百八十度変わった。私はその時代に生きておらず、その様を伝聞でしか知ることができない。
 
 なぜ、日本人はそこまであっさりとアメリカを受け入れ、その文化に染まってしまったのだろうか。私は今から十五年ほど前の二〇〇四(平成十六)年三月に、イラクのバグダードを訪ねたことがあった。
 やはりイラクもアメリカとの戦争に敗れ、フセイン政権が倒れた。バグダードの街中には、装甲車に近づき、または追いかけながらギブミーチョコレートと叫ぶ子どもの姿を見たことはなかった。米兵たちが、気ままに街を歩いていることもなかった。勿論(もちろん)、米兵相手の色街などどこにも存在しなかった。
 米軍の装甲車は機関銃を市民に向けながら、いつでも発砲できるような状態であった。取材のサポートをしてもらっていたイラク人の通訳からは、「絶対にカメラを向けるな、向けたら撃たれるぞ」と、真顔で警告された。
 イラク軍は、神風のような自爆攻撃をすることもなく、軍事的にはあっさりと米軍の軍門に降(くだ)ったが、人々は精神的には米軍にはまったく屈服しておらず、敵意を抱き続けていた。私は特攻の町である知覧に来て、なぜ日本は激烈な抵抗をしたにもかかわらず、アメリカに手懐(てなず)けられてしまったのか、考えずにはいられなかった。

 
 貴重な話を聞かせてもらった理髪店の主人にお礼を言うと、「何の役にも立たなかったでしょう」と、言った。
 もうあと、十年もしたら、こうした話を聞くことも困難になってしまうだろう。人間の記憶というのは、極めて曖昧なものであり、時に都合よく変えられてしまうものでもあり、私が聞いた話のすべてが真実とは思わない。もしかしたら、取材対象者が嘘をついているかもしれない。それでも、こうして書き刻んでいるのは、たとえ事実ではなかったとしても、彼らが生きていた時代の雰囲気というものが、伝わると思っているからだ。
 この日私たちは鹿児島市内に宿を取っていたこともあり、来た道を戻って鹿児島へと向かった。
 ハンドルを握りながら、頭に浮かんでくるのは特攻のことだ。もし私があの時代に生きていて、陸軍か海軍の飛行機乗りであったなら、否が応でもそれを受け入れなくてはならなかっただろう。
 彼らは、若くしてこの世と別れなくてはならなかったが、命を撙(なげう)つという生き様を今日の人々に残した。
 私は彼らの倍以上の人生を生きているが、果たして何を示すことができたのか。こうして駄文を書き連ねながら、恥を晒(さら)して生きている。そんな私でも、身に沁(し)みたのは、彼らが流した血のうえに今日の日本は築かれているということだ。果たして、日本が彼らの理想とする国になったかどうか、それは知る由もない。忘れてならないのは、彼らの手紙が身近な人に向けてしたためられているということだ。両親、妻、恋人、子ども、身近な人を大切に思うということが、愛国などと大声で叫ぶことより、何より大事なことだということにも改めて気づかされた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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