よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 米軍のクラーク飛行場の敷地は広大で、民間の空港として利用されているだけではなく、ショッピングモールなどが建っている。
 色街は基地の名残りであるフェンス沿いの、フィールズウォーキングストリートといわれる通りにある。その多くはゴーゴーバーと呼ばれる連れ出しクラブである。どのゴーゴーバーにもステージがあって、体の線を強調したビキニ姿の若いフィリピン人女性が、赤やピンクの照明を浴びながら踊っている。その姿を、テーブルに座った観光客が眺めている。そして気に入った女性がいれば、テーブルに呼び、ホテルなどに連れ出すことができるのだ。
 ショッピングモールなどから近い町の中心部にあるゴーゴーバーはどの店も賑(にぎ)やかで、夕暮れとともに客でいっぱいとなる。そこから外れれば、どの店も閑散としだす。私は、賑やかな店から場末の店まで何軒かハシゴしてみたが、印象に残ったのは寂(さび)れた店の女性だった。
「イラッシャイマセ」
 テーブルに座っていた私に、声をかけてきた女が口にしたのは日本語だった。呼びもしていないのに隣に座った女は、ドレスを着ていた。体を売る女性たちを仕切っているママだった。
「もう、ずっと昔日本行ったよ。また日本行きたいな」
 客は私以外に白人の男がひとりいるだけで、流行っている雰囲気ではない。この様子では日本人など滅多に来ないのだろう。日本人の客を懐かしいと思って話しかけてきたのだ。小ぢんまりとしたステージでは三人の女性が張りのないダンスを踊り、その足元では三人の女が横になって寝ていた。
 しばらくすると、私たちのテーブルにもう一人女性が来た。
「この女も日本行ったよ。四回行っているよ。最後は二〇〇四年」
 その説明をしたのはママで、日本に行っていたという女は、なぜか日本語を何も発しなかった。よく見ると、目は赤く充血していた。何やら日本語のような言葉を話したが、滑舌が悪く何を言っているのかわからない。
 その様を見て、アンヘレスを歩いている時に見かけた、ノードラッグと英語で書かれた看板を思い出した。
 色街と薬は、古今東西切っても切れない関係にあるが、アンヘレスではドラッグが蔓延しているという。
 かつては年間八万人のフィリピン女性が興行ビザで日本に入国し、フィリピンパブで働いていた。その興行ビザは二〇〇五年に厳格化され、今では年間一万人ほどが入国しているに過ぎない。
 日本のフィリピンパブでの仕事は、ほとんど休みももらえず、給料をピンハネされるなどの問題もあったが、あからさまに売春を強要されることはない。ここアンヘレスはビザの厳格化により行き場を失った女たちの吹き溜まりともいえた。
 白人が帰ると、店は私だけになってしまった。踊り子たちは踊るのをやめて、カウンターを改造したようなステージに座り込んだ。店はほぼ二十四時間営業なので、私のように冷やかし半分の客が来た時に休んでおかないと体がもたないのだ。
 私の隣に座った女は、相変わらずぼーっとしていて、手鏡を取り出し、その中に映る自分の姿を見つめている。
 フィリピンから日本に渡ったじゃぱゆきさんの中には、ある程度の現金を得て、幸せな生活を送る者がいる一方で、夢叶わずこうした場所に身を置く者もいる。
 ゴーゴーバーのステージで屈託なく踊っている女たちにも時は無常にも流れ、この仕事を続ける限りいつの日か寂れたバーに身を置かなければならない時がくる。そこに性風俗にたずさわる女たちの哀しみがある。
 特攻隊が飛び立った町は、今も売春が生きていて、日本で働いていた女たちがいた。戦後七十五年近くが経とうとしているが、日本とはか細い糸ながらも、しっかりと結びついているのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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