よみもの・連載

軍都と色街

第四章 知覧・鹿屋

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 鹿屋で取材を続けていくと、終戦直後に小学校三年生だった黒木さんという女性に話を聞くことができた。
「お生まれはこの鹿屋のどのあたりですか?」
「東串良町(ひがしくしらちょう)って、ここからちょっと離れているところですけどね。その後、母が鹿屋の学校で教員生活していましたので、それで鹿屋と行ったり来たりしていまして、最後はまたもっと山の中、高隈というところです。そこで終戦を迎えましてね。その頃は学校へ行く時にも防空頭巾をかぶって、裸足か下駄か。下駄しかないんです、履く物が。それで、お年寄りに草履を作ってもらって、草履を履いていくか、そういう生活でした」
「食生活はどうだったんですか?」
「うちはわりと裕福でしたけど、皆さん芋づる食べたり、唐芋(からいも)のご飯とか、それから雑炊じゃないんですけどだんご汁とかいいましてね。小麦粉で作っただんごを汁に入れて食べたりしていましたよ」
「お母様が教員をされていて、お父様は何をなさっていたのですか?」
「父は財産家でしたから、高隈のあたりにずっと地縁がありましたので、終戦当時には鹿屋市の蒲牟田市長さんとは懇意にしておりました。二階堂進代議士の名前は今はもう出なくなりましたが、あの頃はしょっちゅう来られていた」
「戦時中は防空頭巾かぶって通学するぐらいですから、やっぱり戦闘機などはちょくちょく来たんですか?」
「飛んで来ました。私は東串良におります時に、ちょうど柏原というところが兵舎になっていまして、そこに兵隊さんがいるもんですから、機銃掃射に来るんです。私たちも機銃掃射を何回も受けまして、もうすごいです、あの音。ぱぱぱぱぱぱぱって来るんです。それで走って逃げるんです。学校にいる時にそういう空襲警報が鳴ると、防空壕が校庭にあって、そこへ逃げ込むんですけど、逃げおくれて足をやられたりした方もおりました」
「そうですか。子どもにまで撃ってくるんですね。子どもにまで容赦ないんですね」
「もう誰でもいいわけです。人間であれば誰でも滅ぼそうという気持ちでしょうからね。ものすごい音ですよ、あの音。今でもやっぱりもう耳から離れませんね。それとか、B29というのが来ましたよ。B29が白い紙を降らすんです。八月十三日ぐらいだったと思うんですよ。何か落ちてきたので走っていって拾って、父親に見せたら、『そんなばかな話があるか』と言うんですよね。その時は、紙に書いてある言葉の詳しい意味はわかりませんでしたけど、日本が戦争に負けると書いてあったと思います。それで、父親が紙を破って捨てたんですよ。とっておけばよかったと、今になって思います」
「空襲のご経験の他に、特攻隊のことは何か覚えていらっしゃることはありますか?」
「特攻機の飛んでいるところは、見たことないんですよ。町のお菓子屋さんは見たとおっしゃるんですが」
「お菓子屋さんですか?」
「富久屋さんというお菓子屋さんで、海軍タルト作ったところの奥様です。よう見ていたよという話を私は聞いています。タルトというのは、特攻隊が飛ぶ時に、片手で食べられるように作ったお菓子なんです。砂糖とかもすごい貴重だったから、それを最後に食べて突撃しなさいと。特攻隊の人ではないですけど、私のところは鹿屋にも家がありまして、そこでは海軍さんが何人か宿舎にしていたんですよね。今日は台湾行きだ、今日はあっち行きだとおっしゃると、帰ってくる時に大きなバナナを買ってきてくださったり、絵本を買ってきてくださったり、それが楽しみだったんです、両親にその方たちが言っていました。明日は家の上を大きく旋回して行きますねと。そうやって飛び立っていかれたんです」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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