よみもの・連載

軍都と色街

第五章 千歳

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 千歳を基地とした日本海軍は、戦時中どんな動きをしたのか。日本軍は戦争末期、特攻作戦を敢行するが、ここ千歳もそれと無縁ではなかった。千歳を訪ねる以前私は鹿屋(かのや)、知覧(ちらん)にも足を運び、そこで沖縄で散華した特攻隊員たちが死を前にして綴った文章に心を打たれた。千歳においても大戦末期に特攻隊が組織されていたが、結果的には出撃することなく終戦を迎えた元特攻隊員たちがいた。私は彼らが綴った手記を目にした。手記が掲載されていたのは、『千歳特攻隊始末記』(藤井貞雄編)という単行本である。


”「愚人賦」 鶏のたわごと
 これはもう少しで神様になろうとした俗人共が各人々々で好き勝手なネツを吹いた記録で一文の価値もないものである。時が来れば屑屋の籠に入るかバタ屋の御厄介になる記録である。
 神になりそこねた凡人共は後々まで残ると思ひ、得意になって書いてゐる。可哀想な愚物共よ、ワメケ〳〵。
 飛行機乗りとは言ふものゝ まだ〴〵荒鷲に程遠い鶏ではある。鶏のときの声男一匹を生かす女を得るまでは 霞を吸って生きたい”


 ちょっと長いが、さらにもう一文紹介したい。元特攻隊員が終戦から三十八年後に記したものである。


”もう戦争を知らない世代が圧倒的に多い今日、通勤の途中、あるいは散策の途次、ふと耳に入る若者たちの会話を聞いていると、自分はいま、日本ではなく、全く別の国に住んでいるのではないか、というような錯覚を起こすことがある。(中略)
 自分たちの時代に比べて、あまりにも野放図にさえ見える現在を楽しんでいる若い世代には、なんとなく好感がもてない。(中略)私は自分たちの青春時代に大きな誇りを持つ。なるほど、物質的には今の半分もめぐまれず、そして今の十分の一の自由もなかった。しかし、その乏しい物質生活と、窮屈な精神生活の中で、限られた時間を生きてゆかなければならなかったという、ギリギリの体験は、今の空虚にさえ見える豊富さにくらべて何十倍も勝れていたと思う。(中略)同時に思い出されるのは、勝利を信じ、あるいは大きな疑問を持ちながらも、与えられた運命に従って、祖国のために死んでいった同期の仲間たちのことである。
 あれもこれもみんな、今日あるものはすべて彼等の犠牲の上に基づいているのだと思うと、生き残ったうしろめたさと同時に、死んで行った人たちのために、なんとかしなければならないと思う苛立ちを覚えたものであった。(中略)こんな苛立ちを持つばかりで、結果的には何もできず、とうとう六十路の坂を越えた。先に行った仲間のところへゆく日も、そうそう遠いことではなくなってきた。彼等に会ったらどう言訳しようかなどと、ふと思うことがある今日このごろである”

 令和へと時代が変わり、世の中のほとんどは戦争を知らない世代となった。ますます戦争の記憶は薄れてゆく。特攻隊で命を落とした者、たまたま出撃命令が出ず、生き残った者。その両者とも自分の意思ではどうすることもできない時代の潮流に呑み込まれた。
 知覧、鹿屋、そして千歳と歩き、少しばかりの手記を読んだだけだが、個人の意思が無視される時代というのは、やはり人間にとって極めて不幸な時代であると思わざるを得ない。手記を書いた元特攻隊員たちは、戦後の日本の変わり様を嘆いているが、私には戦時中よりは、今の方が個人が自由な選択をできるまともな時代なのではないかという気がする。ただ、この礎は戦争で亡くなった人々が築いたものであるということは忘れてはいけない。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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