よみもの・連載

軍都と色街

第五章 千歳

八木澤高明Takaaki Yagisawa

イラクで出会ったスーダン人


 松原さんの話を聞いていて、彼が駐留した南スーダンについて、ふと思い出したことがあった。その前にスーダンの歴史について軽くふれておきたい。南スーダンは二〇一一(平成二十三)年に独立した新しい国だが、それまでスーダンというひとつの国だった。スーダンは一九五六(昭和三十一)年にイギリスとエジプトの共同統治から独立し、スーダン共和国となった。植民地時代、イギリスは世界各地の植民地で分割統治を行った。北部はイスラム教徒を多数派とする地域とし、南部はキリスト教とアニミズムを信奉する非イスラム系の住民の地域として、民族間の対立を煽ったのだった。この分割統治が独立後も南部と北部の対立を生み二度にわたる内戦が勃発し、二〇一一年に南スーダン共和国が独立するまで、四百万人ともいわれる人々が亡くなったのだった。
 私は二〇〇四(平成十六)年に混乱の渦中にあるバグダッドを訪ねたことがあった。私が滞在した地域には、キリスト教の教会もあり、通訳の男性はキリスト教徒だった。イラクというとイスラム教という印象が強いかもしれないが、フセイン政権時代には、キリスト教徒は百四十万人いた。ISの台頭などで迫害され、現在では三十万人が暮らすほどだという。
 滞在していたホテルの近くに一軒の雑貨屋があったのだが、その店では背の高く痩せた青年が店番をしていた。肌の色は黒く、イラク人ではなく、漠然とアフリカ出身なのではと思った。ある日、「どこから来たの?」と尋ねてみると、
「スーダン」
 という答えが返ってきた。私にとって、初めて会うスーダン人であるし、少しばかり興味を覚えた。
 アリと名乗った青年は、出稼ぎでバグダッドに来ていると言った。
「イラクには、船でサウジアラビアに渡って、そこからバスで来たんだ。もうしばらくバグダッドで働いてからスーダンに帰るよ」
 中東のサウジやイラクは、産油国として経済的に豊かであり、アフリカ諸国の人々の出稼ぎ先のひとつとなっていることをアリとの出会いで知った。
 考えてみれば、バグダッドは日々どこかで爆弾テロが起きていたが、その当時、アリの故郷であるスーダンは数百万人の死者を出した内戦の最中であった。彼からしてみれば、私がバグダッドで見た光景というのは、故郷に比べれば大したものではないと感じていたのかもしれない。
 改めて地図を眺めてみれば、スーダンとイラクはサウジアラビアを挟んだ位置関係にあり、しかも同じイスラム教徒ということもあり、彼らの感覚からすれば、遠い場所ではないのかもしれない。
 一ヶ月ばかりのバグダッドの日々で私の世界地図を広げてくれたのが、アリというスーダン出身の青年だったのである。
 その後、スーダンから紅海を渡ってサウジアラビアへ向かう、スーダン難民たちの密航が絶えないことを知った。当然ながら、使われる船は粗末で、沈没することも少なくなく、亡くなる人が多かったという。
 かつて戦争により、一家の柱を失った女性が娼婦になることは戦後の日本では普通に見られた。そして、男たちもそれまでの秩序から裸一貫で放り出され、汗を絞り出しながら労働に勤しんだ。
 おそらくアリもその当時の日本人たちのように、祖国の混乱により、新たな人生を切り開こうとイラクにやってきたのだろう。あれから、十五年以上の年月が流れたが、果たして彼はうまく人生を送っているのだろうか。
 松原さんの話を聞きながら、あの薄暗い小さな雑貨屋で店番をしていたアリの姿がちらちらとよぎったのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

Back number