よみもの・連載

軍都と色街

第五章 千歳

八木澤高明Takaaki Yagisawa

南スーダンでの日常


「自衛隊での任務の中で一番危険だったのは、南スーダンということになりますか?」
「自分の経験では、やっぱり南スーダンで命の危機を感じました」
「何日ぐらいいたんですか?」
「自分がいたのは、二〇一六(平成二十八)年五月から十二月までの八ヶ月です」
「日本の食料を持っていくわけですか?」
「いや、持っていけたのは、基本的には米とかみそとかぐらいですね。その他は現地調達です。現地調達といっても、野菜とかもうほんとうに日持ちしないやつだけを、現地で手に入れるんです、例えば肉とか、少しぐらい日持ちするやつがあるじゃないですか。そういうのは国連軍で調達してくれるんですよ」
「当初は、現地の人と接触があったわけで、現地の人も何か売って金もうけしようという人がいっぱい来たわけですよね?」
「いましたね、お金もうけしようという人は。でも、内戦が始まってからは、一気にいなくなっちゃった。だから一時期、自衛隊でも、国連軍から調達してもらった肉などの食料ももう底をつくかというところまで行きましたね。業者が来ないんですから。業者が逃げちゃった。つまり、野菜とかを持ってきてくれていた業者が、もう来ないんです。燃料も届かないとなって。燃料ですね、一番危なかったのは。燃料が切れたら発電機も使えなくなるので、エアコンも何もかも使えなくなります」
「気温は何度ぐらいあるんですか?」
「いや、温度計は四十度ぐらいなんですが、日本の暑さとは違って、もういつも五十度超えているような感覚の暑さなんです」
「そんな状況だと、活動時間も限られますね」
「長時間はできないですね。交代して、区切ってとか何とか工夫して。最初は、普通に車に乗って、いやあ、暑いわって言って、シャツに防弾チョッキだけ着る。時には防弾チョッキもあんまり着なかったですよ。シャツだけでビューっと行っていたんですけど、内戦が始まったものだから、もうごっついズボンを穿いて、防弾チョッキを着て、汗だらだら流しながら。で、現場までは鉄板で覆った車で行かないといけないし。その車にはエアコンもついてはいるんですけど、あまりの暑さに機能しないんです。暖気しが出てるんじゃないのかと思うようなエアコンです」
「内戦が始まってからも、作業に行ったんですか?」
「始まってすぐ中止になりました。それからは、もう一切出るなと言われて。夜も、バンバンバンバンっと始まったら、すぐ防弾コンテナに入ります。砲弾が落ちない限り大丈夫というコンテナで、迫撃砲ぐらいは耐えられるんです」
「一日にどのくらいの頻度で避難するんですか?」
「ひっきりなしに声がかかっていますよ。『避難! 退避!』って、そうしたら、また重たい十キロぐらいの防弾チョッキを着て、ドタドタ走ってという繰り返しです」

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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