よみもの・連載

軍都と色街

第五章 千歳

八木澤高明Takaaki Yagisawa

北のアニキとの再会


 室蘭から次に私たちは千歳に戻るのではなく、札幌へと向かった。札幌には十二年ほど前まで、豊平川のほとりに五条東会館とカネマツ会館というちょんの間があった。
 果たして、その跡地がどうなっているのか気になったことと、札幌の繁華街ススキノのルーツとなった薄野遊廓は大正時代に豊平川を渡った現在の白石区に移転し、白石遊廓となり戦後に進駐した米軍たちも利用したという事実を知り、白石遊廓跡にも足を運んでみたいと思ったのだ。
 札幌には、二十代はじめの頃に知り合った国政さんというカメラマンが暮らしている。私より年齢は二つ上で、北海道新聞社のカメラマンをしているのだが、五十歳を目前にしながら、頭はモヒカン刈りで、端から見ると、どう考えても新聞社に勤めているようには思えない。私はかれこれ二十年以上マスコミの人間と付き合ってきたが、国政さんのような風貌のカメラマンを見たことがない。独特なのはその風体だけでなく、人脈も広く、マスコミはもとより、ススキノの風俗店経営者から中古車販売業者、さらにはヤクザ、飲食店経営者など市井の人々に溶け込んでいることだ。そんな国政さんを私は親しみを込めて北のアニキと呼んでいる。
 私は東京に暮らし、北のアニキは北海道で働いていることもあり、そう頻繁には会うことはできない。この日、アニキの都合がついたこともあり、私たちは、ススキノの入り口にあるニッカビルの前で待ち合わせをした。
「おう、久しぶりじゃのう」
 背後から懐かしい声がして、アニキが現れた。思えば、五条東会館とカネマツ会館の存在を教えてくれたのが、アニキだった。
 五条東会館とカネマツ会館の場所へはタクシーで向かった。
「昔は賑やかでしたね。あたりには立ちんぼもいてね」
 行き先を告げると、タクシーの運転手さんが懐かしそうに呟いた。十分ほどでその場所に着くと、五条東会館は更地となっていたが、かろうじてカネマツ会館の建物だけは残っていた。ただ明かりはついておらず建物は闇に沈んでいた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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