よみもの・連載

軍都と色街

第五章 千歳

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 翌日、札幌の街中から、豊平川を渡った白石区にある白石遊廓の跡へ向かった。
 白石遊廓は、札幌の繁華街ススキノにあった遊廓が移転してきたのが、その始まりである。
 薄野遊廓は、明治時代のはじめ、開拓がはじまったばかりで侘しい土地であった札幌に、労働者や職人を引き留めるために設置されたのがそのきっかけだった。
 その後、札幌の街が発展していくと、遊廓が街の中心部からほど近い場所にあるのは、如何なものかということで、移転計画が持ち上がったのだった。街の開発とともに色街が街はずれに追いやられていくのは、世の常である。
 移転先には、経済的な旨味(うまみ)があるということで、近郊の村々が名乗りを上げたが、白石村の果樹園主たちが、遊廓用地を寄付したことにより、誘致に成功したのだった。
 一九二〇(大正九)年から営業を開始した遊廓には、三十一軒、二百五十一人の娼妓がいたという。遊廓は一九五八(昭和三十三)年売春防止法が完全施行されるまで営業を続けた。戦後直後には、札幌に進駐した米兵たちも足を運んだ。
 白石遊廓のあった札幌市白石区は、札幌の中心部と同じように碁盤の目状に区画が整然としているが、ちょうど大門のあった通りだけは、広々としている。
 遊廓の跡地の一角には公園があって、この場所が遊廓だったことを記す看板を見つけた。色街の歴史をなかったことにする街が多い中で、看板を設置している札幌市の姿勢には好感を持てた。ただ周囲はオフィスビルやアパートなど、無機的な街並みとなっていて、往時を偲ばせるような建物は、どこにも残っていなかった。

 北海道の開拓により色街は生まれ、その役割を終えると、北の大地に降り積もった雪が春には消えるように、色街は跡形もなく消えたのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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