よみもの・連載

軍都と色街

第五章 千歳

八木澤高明Takaaki Yagisawa

真面目だった父親とパンパン


 札幌での取材を終えると、再び千歳に入った。そこで私たちは、喫茶店の店主鈴木さんに、一人の女性を紹介してもらうことになっていた。
 千歳で米軍がいた時代のことを知っている人物を探してもらえないかと鈴木さんにお願いしたら、その女性を探してきてくれたのだった。
 私たちが喫茶店に赴くと、ボックス席で老齢のカップルと鈴木さんが談笑していた。すぐに鈴木さんが手招きした。
「こちらの方々がそうです。橋本任子さんとご主人の聡さんです。ご主人も昔のことに詳しいので来てもらいました」
 任子さんは一九四四(昭和十九)年の生まれで、物心がついた時にはすでに米兵たちの姿があったという。
「そうそう。うちはアパートをやっていたので。当時、そういうオンリーの女の人ばっかりがいましたね、そんな時代だったから」
「どこにアパートがあったんですか?」
「駅前通りの千代田町四丁目で、今でいう、洋食屋さんか何か、角にありましてね。
その隣が私のうちだったんです。前が自宅で、裏にアパートがあった」
「お二人とも千歳のご出身なんですか?」
「主人は長沼というところの出身なんです。お姉さんを頼って、長沼から出てきて、車の免許をとりに通って、その後、免許をとってから米軍キャンプの仕事をしていたんです」
「任子さんのご両親はどちらのご出身だったんですか?」
「父親は、北見でした。母親は、今の泉郷、あっちのほうに住んでいたようです。お父さんというのは写真屋さん、そういう技術を持っていて、千歳に出て来て、お母さんと、どういうふうにして知り合ったのか、その辺、私もよく知らないんだけどね、一緒になって、千歳で最初はイイジマ写真館って写真屋さんをやっていたんです。千歳は米軍もいて景気がいいし、その頃は、写真屋さんなんてあまりなかったから、ほら、農家の結婚式とか何かあったら行って、写真を撮って、野菜とかをいっぱいもらってきてね」
「任子さんは、何人きょうだいでいらっしゃるんですか?」
「私は、弟と二人なんですけどね。弟は、昭和二十六年生まれかな」
「アパートは一軒だけ経営されていたんですか? 何戸ぐらい部屋はあったんですか?」
「十部屋ぐらいじゃなかったかと思います。大体オンリーさんが主だったらしくて」
「お話しした記憶とかはないですか?」
「いや、そういう人たちと話はしませんでした、まだほんとの子どもだったから」
「どこのアパートも娼婦の方が多かったんでしょうね?」
「他のアパートはわかりませんけど、うちの父って、すごい真面目な人だったんだけども、自分のアパートにそういう女の人がいたでしょ。そういうのを面倒みる役に、町内で真面目な人が町から推薦されることになったわけ。そうしたら、うちの父親が選ばれたんだ。選ばれたのはいいんだけど、やっぱりそういう女の人のほうに引きずられていっちゃって、うちに帰ってこなくなっちゃった」
 私は初めて聞く話に、思わず「はぁーっ」と唸ってしまった。男と女のことなので、何が起きても不思議ではない。それにしても任子さんの一家にしてみたら、とんでもない悲劇だ。
 千歳の街の当時の様子が、『売春』(神崎清著)に記されている。

”この北方のブーム・タウンに、なにごとも心得た御用商人のつもりで、女をつれてのりこんできたのが、札幌の業者とはるか南の佐世保の業者であった。(中略)
 学校の教室が無料のホテルとして彼らに利用された。はなはだしきに至っては、千歳神社のわたり廊下がパンパンのメンスの血でけがされ、信心ぶかい人たちの立腹の種になった。それにくらべると物置小屋や馬小屋にわらをしいた寝室は、このさいにおける最良のホテルであった。”
 

 その時代の千歳には二百五十軒のパンパンハウスがあったという。米兵たちが、快楽に溺れる街で、生真面目だったという父親は、女性に同情すべき何かを感じ、次第に心を惹かれていったのか。
 米兵相手に商売する者たちが千歳の街に流れ込み、色街が形成されていった。そういえばこの連載で最初に取り上げた横須賀でバーを経営していた男性も佐世保の出身だった。そして、学校が娼婦の仕事場になったという話も、かつて訪ねた山形の神町で聞いた。ドルの力の前に日本の基地周辺における日常の規範は脆(もろ)くも崩れていったことが窺える。
 米兵の持つドルに多くの人が吸い寄せられ、その人々に関わった、任子さん一家の生活も崩壊の兆しが見えはじめたのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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