よみもの・連載

軍都と色街

第五章 千歳

八木澤高明Takaaki Yagisawa

パンパンは今でも憎い


 私はこれまで、米兵相手に商売をしてきた人の話は聞いたことがあったが、商売人ではなく、その土地に暮らし傍(そば)から眺めていた人の話を初めて聞いた。考えてみれば、アパート経営をして基地の恩恵を得ていたことは間違いないが、パンパンによって家庭が崩壊した任子さんからしたら、複雑な感情というのは消えることはないのではないか。どんな思いを持っているのか尋ねた。
「当時はね、やっぱり自分の父親がそうやって取られたでしょう。何ぼお母さんの体が弱くてね、相手をしてあげられなくたって、そんなことをする父親ではないと思っていたから。真面目で通っていた人だから、やっぱりそういう女の人は憎かったよね。だから、もうほんとに小学校二年生の頃から、家のことは全部、私がして。ご飯の支度から、掃除、洗濯まで。お母さん、常にもう和裁をやっていた人だったから。だから、どこにも遊びに行かなかったし、みんなと遊びにも行けなかった」
「その頃は子どもは遊びたい盛りですよね?」
「そう、子ども盛りに遊べなかったんだよね。弟が、年、七つ違うでしょ。だから、弟の面倒も見なきゃいけないし、自分だって学校も行かなきゃならない。でも、薪(まき)が欲しかったって買えないから、駅のあっちのほうに、丸太がいっぱい積んであったんだよね。で、丸太の皮を剥ぎに行って。朝、四時、五時に起きて皮を剥ぎに行って、干しておいて、学校が終わったら取りに行く。ほら、まだ同級生は部活とか、そういうのをやっているから、見られたら恥ずかしいからさ、ちょっと薄暗くなってから、その干してあったものを取りに行って、それでご飯や煮炊きしたりしていた。木の皮を燃料にしているから、毎週日曜日には煙突掃除。女の子なのにさ、煙突掃除もしなきゃならない」
「ほんとに憎くてしようがなかったわけですね、そういう人たちが?」
「まあ、ずっと憎いよ、やっぱり。今でも憎い。だから、葬式だって行ってないし。私がどうしても家庭の柱になっていないと、困った時代だったから。子どもの頃は、ほんと、いい思い出は何もない」
「小さい頃、お父さんはおかしくなる前は優しい人だったんですか?」
「いや、優しくもないよ。結構、厳しい人でね。私が生まれるまで、しばらくできなかったみたい、子どもが。それで、もらいっ子したんだ。当時、もらいっ子って、はやってたと言ったらおかしいけど、子どもがたくさんいて、育てられなくて困っていたので、引き取った子がいたんだ。苫小牧の子だったらしいんだけど、その子と何年か暮らしたことがあるんだよね。ある時に表で隠れんぼうして遊んでいたの。私が鬼で、スミちゃんっていう子だったんだけど、スミちゃんがどこかに隠れて、『もういいかい?』って言ってもさっぱり返事がないんだよね。その時に、誰か女のお客さんがうちに来たんだわ。そしたらね、その人が連れ戻しに来たみたいで。で、私が何回呼んでも返事もないし、今度、うちの中に入って『お母さん、スミちゃん、うちの中に入ってこなかったかい?』って言ったら、お母さんが黙ってるんだよね。知らないよっていうような感じで。表を見ても誰もいなくて、遠くにある駅の方を見たら、子どもと女の人がそっちの方へ歩いていってるのが見えたの。あれ、スミちゃんじゃないかなと思って『スミちゃーん!』って追いかけていったんだけど、駅に着いた頃はもう列車が出てしまった後で、それっきり音信不通になってね。だから、今、どこで何をしているかわからないんだけどね」
「そういうこともあったんですね」
「うちのお父さんは厳しい人だったから、スミちゃんにも随分つらく当たっていたみたいなんだよね。それをほんとうの親はどこかで聞いたんでないかい。それで連れ戻しに来たみたい」
「お母さんも何か言ってましたか。お父さんは何でああなっちゃったのかなとか?」
「自分の体が弱かったから、そういう女に走ったっていう思いはあったと思うけど。私たちには、そういうことは言わなかったけどね」
「でも今は、いいご主人にも恵まれてお幸せですよね?」
「そうですね。でも、この人は、ほんとに結婚式を挙げる十日前まで、他に女の人がいたんですよ。遊んでいたんですね。普通だったら、そんなの怒るでしょ。でも、結婚したらきっとやめると思ったから、ずっと我慢してたんだよね。それっきり女遊びというか、そういうのは一切しなくなったね。それが最後の女遊びだった。うちには給料がそのまま入ってくるし、何も言うことないと思ったね」
 最後になって、救いのなかった暗い話にほんわかとした明かりが灯ったような気がした。私は貴重な話を聞かせてくれた二人に礼を言って店を出た。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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