よみもの・連載

軍都と色街

第六章 大阪 和歌山

八木澤高明Takaaki Yagisawa

水運と色街が生んだ小説


 それにしても、大阪の色街というのは水と深い縁で結ばれている。舞台を再び大阪へと戻す。大阪を舞台にした小説はたくさんあるが、心に強く残る作品も少なくない。そのうちのひとつが、宮本輝の『泥の河』である。大阪市内を流れる安治川(あじがわ)に係留されていた家船に暮らす母子と河沿いに暮らす少年との交流を描いた作品で、家船で暮らす姉弟の母親は娼婦であった。
 安治川は江戸時代に淀川の分流である木津川の洪水を防ぐために河村瑞軒の指揮のもと、九条島という島を開削してできた人工の河川である。
 その後、物資の輸送のため多くの船が行き交うようになり、木津川口を凌(しの)ぐほどに栄え水運の大動脈となった。それにより船乗りを相手にした遊里ができ、その場所は新堀と呼ばれた。自然発生的に生まれた新堀であったが、江戸時代の後期の天保年間には、なし崩し的に飯盛り旅籠の設置が許可されたのだった。
 旅籠では、春を売る遊女たちばかりではなく、取り締まりを逃れるために、饅頭売りなどを装って停泊している船に近づく、「ぴんしょ」と呼ばれた遊女たちがいた。何とも不思議な言葉であるが、その語源は諸説あって、一升瓶の米と引き換えに体を売ったことからそう呼ばれるようになったという説や不倫を意味する中国語だという説もある。
 かつての、渡鹿野島(わたかのじま)やこれから訪れることになる瀬戸内の島々と同じように船を利用した売春が安治川筋ではおこなわれていたのだった。その流れのなかで、昭和に入ってからも家船と呼ばれた船で水上生活をしながら、春を売る者たちがいた。
 いわば、この小説は、宮本輝が意図したかどうかは知らないが、水運と売春という大阪の売春の歴史を切なく描いたともいえる。主人公の少年は、家船に暮らす少年の母親が客に体をひらいているところを見てしまう。それからすぐに家船は去っていく。家船が川を下るところで物語は終わる。果たして船はどこに向かったのか。思うに、船が行き着ける場所はどこにもない。それは、日本が高度経済成長期に差し掛かり、家船に暮らす者たちの時代が終わり、水上生活者たちが陸に上がらざるをえなかったことも意味している。
 今日、安治川の護岸は、木津川と同じようにコンクリートで固められていて、単なる水路に成り果てている。私は、生まれ育った横浜で、家船は見たことがなかったが、日雇い労働者たちを船に泊める水上ホテルは見たことがあった。今から二十年ほど前のことで、値段は一泊五百円。興味本位で泊まろうと思ったが、澱んだ空気と男たちの汗の匂いが入り混じった臭気に二の足を踏んでしまい、入り口から引き返したことがあった。今では水上ホテルは船だけが残っているが、営業はしていない。
 家船の存在が物語っているのは、かつて日本の山の中が、戸籍に属さない自由民の根城だったように、川にも同じような人々がいたということだ。
 横浜の場合は、水上ホテルが消えたのは、奇しくも色街だった黄金町が消えた時代とリンクする。陸においても川においても行政権が及ばないアジールというものが、この日本から消えつつある。ただ、人間の社会には、光のあたるところばかりではなく、陰というものが必要ではないか。その陰を訪ね歩くのが、この旅の目的でもある。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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