よみもの・連載

軍都と色街

第六章 大阪 和歌山

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 軍都大阪を象徴する存在であり、大日本帝国陸軍を支えた巨大工場は一夜にして消えた。それにしても、終戦の一日前になぜ大阪砲兵工廠は空襲されたのだろうか。その時すでに日米政府は和平交渉をしていたが、日本側は無条件降伏ではなく、有条件の降伏に拘(こだわ)ったこともあり、アメリカ側は警告の意味で終戦の前日に空襲したという。もう日本の敗戦は確実であり、アメリカ側は、各地の軍港や施設など戦後接収し使用するものには、ほとんど空襲をしていない。砲兵工廠で作られていた武器は、アメリカ軍の大きな脅威ではなく、戦後さほど利用価値がないという判断もあったことが窺える。大日本帝国の終焉(しゅうえん)とともに砲兵工廠は役割を終えていたのだ。
 そんな政治的な判断とは無関係に、多くの人々が犠牲となった空襲。いつの時代も命を奪われるのは、市井に暮らす人々なのである。
 

 大阪砲兵工廠跡を歩いてみると、広々とした公園となっていて、どこにも東洋一の工場だったという面影はない。レンガ造りの化学分析場が残っているが、立ち入り禁止で眺めることしかできない。工廠だったことを今日に伝えるのは、石碑ぐらいである。工廠の存在というのは、戦争の負の遺産というイメージが先行してしまうのかもしれないが、軍事産業で培われた技術が、その後の高度経済成長を支えたのは紛れもない事実であり、今日の日本人の生活の礎を築き、欠かせないものとなっているだけに、何とも寂しい気分になってくる。
 大阪砲兵工廠の焼け跡を描いた小説で、印象深いものに開高健の『日本三文オペラ』がある。廃墟となった砲兵工廠周辺は、屑鉄を拾って売りさばく人々が、バラック小屋を建てて集落を形成した。小説の主人公は在日朝鮮人で、彼らはアパッチ族と呼ばれ、砲兵工廠に忍び込んでは、打ち捨てられていた鉄を盗んだ。
 私が砲兵工廠の存在を知ったのは、その小説からだった。砲兵工廠は消え、アパッチ族が暮らした集落も今では公園や線路などになっていて、どこにもその雰囲気は残されていない。高層ビルが建ち並び、その下を行き交うスーツ姿の人々を眺めていると、果たしてそんな時代があったのかという思いになる。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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