よみもの・連載

城物語

第一話『戦人の城(伊賀上野城)』

矢野 隆Takashi Yano

 この男の祖父も父も、家臣に殺されている。幼い頃は人質として育ち、年長じてからは信長や秀吉とともに幾多の修羅場を潜り抜けてきた。そんな家康は、誰よりも疑り深く、用心深い。ここまで顔を寄せて語ることは、珍しい。余程のことだ。
 それほどの大事とは、いかなることか。
 高虎にはおおよその見当はついている。この伊賀の地を与えられた時から、覚悟はできていた。
「そろそろ西方に放っておる腫れ物を、潰してやろうかと思うておる」
 西方の腫れ物……。
 豊臣家だ。
 家康の言葉の真意を即座に悟った高虎は、黙したままうなずいた。その様に驚いたのか、翁の右の眉がわずかに揺れる。
「さすがは藤堂高虎じゃ。驚かんな」
「伊賀を与えられた時より、大御所様の御心は解っており申した。躰にできた腫れ物は宥(なだ)めて治すに限りまするが、国にできた腫れ物は、放っておけば大きくなるのみ。斬り裂き、膿(うみ)を出しきってしまわねば治まりますまい」
 嬉しそうにうなずいた家康が声を吐く。
「石田治部(じぶ)に大谷刑部(ぎょうぶ)。それに御主。近江者は頭が切れる。それ故、話が早い」
 石田治部も大谷刑部も、ともに関ヶ原で家康に刃向い潰(つい)えた。高虎も、彼らと同じく豊臣恩顧の大名であった。しかし高虎は、家康を選んだ。そして生き残った。
 家康の目を見つめたまま口を開く。
「伊賀の地にて大坂の豊臣に睨みを利かせる。それが某(それがし)の務め。そしてそれは、大御所様が決して豊臣を捨て置いたままにはせぬということ」
「そのとおりじゃ。御主を伊賀に置いたは、豊臣が良からぬ企みをせぬか、常に目を光らせておるためじゃ」
「その務めも終わりが近いと」
 伊賀に移って二年。関ヶ原の戦からは十年もの歳月が経過している。
 翁は頭を左右に振った。それから、先刻までとはまるで違う悪辣な笑みを口許に湛(たた)える。
「もうしばらく、御主には豊臣を睨んでおいてもらう。が、儂はもう長くはない」
 恐怖も焦燥もない、穏やかな言い振りであった。己の死をまったく恐れぬ泰然とした家康を、高虎は頼もしく思う。
「長くなき故、息子のためにやっておかねばならぬことがある」
 豊臣を滅ぼすという務めだ。
 家康は続ける。
「死に際し、太閤殿下は儂に秀頼殿のことを御頼みになった。あの時の秀吉公の気持ちが、今痛いほど解る」
「大御所様」
「御主にも子ができた故、儂や太閤殿下の気持ちが少しは解ろう」

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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