よみもの・連載

城物語

第一話『戦人の城(伊賀上野城)』

矢野 隆Takashi Yano

 大助は年老いてからの子である。たしかにこれより先、あの子にどれだけのことができるか。できることはすべてやってやろうと思っている。藤堂家の礎は、己の代で盤石にしておくつもりだ。そこまで考え、高虎は深くうなずいた。
「なるほど」
「そういうことじゃ。親は子になにかを残そうとするもの。儂があの不出来な息子に残してやれるのは、盤石なる天下じゃ」
 死の気配を感じた家康は息子秀忠のために、豊臣家を滅ぼし後の禍根を断っておこうとしている。徳川家の下で世は治まったとはいえ、今も豊臣を信奉する大名は多い。天はひとつではなかった。東の徳川、西の豊臣。そう見る者も多い。
 豊臣を滅ぼし、徳川が唯一無二の天になる。それが、家康最後の務めなのだ。
「某にできることは、なんでも仰せつけくださりませ」
「ならば、遠慮なく申しつけよう」
「なんなりと」
 家康の顔がいっそう近づいた。少し頭が揺れれば、鼻と鼻が触れ合うほどだ。
「城を築け高虎」
「城にござりまするか」
 そうじゃと答える家康は、眉毛一本動かさない。高虎を見据えたまま、翁は言葉を吐き続ける。
「儂は秀頼を殺し、豊臣を滅ぼす。大戦となろう。戦は生き物じゃ。どれだけ手を尽くし、策を弄(ろう)してみても、どこでどう転ぶかは誰にも解らぬ」
「諸大名は徳川家の威光を恐れております。もはや幕府に逆らい、豊臣に翻るような者はおりますまい」
「甘いぞ高虎」
 家康の口から発せられる息に、耐えきれぬ甘さがある。薬の香りが頭に過(よぎ)った。老いたゆえの臭いというより、家康が嗜好している薬草の所為(せい)であろう。臭いが強いからといって、顔を背ける訳にもいかない。高虎は腹に気を込め、家康と正対し続ける。
「福島、浅野、阿波の蜂須賀。このあたりはどう転ぶか解らん。此奴等の動き如何では、毛利や島津もどうなることか」
「そのようなことが」
「起こるのが戦であろう。流石(さすが)の高虎も、長き太平に緩んでしまいおったか」
 言った家康が、きききという耳ざわりな声で笑った。さっきまでの朗らかさは、消え去っている。狡猾で奸智に長け、誰よりも用心深く、当代きっての野戦上手。かつての家康が目の前にいた。
 高虎は身を引き締める。
 関ヶ原の戦より十年が経ち、戦も遠い昔のものとなった。大助は戦を知らず、若き武士たちのなかにも、敵を殺したことのない者が増えた。
 戦人(いくさびと)であったつもりであるが、どこかで緩んでいたのであろう。老境にあってもなお戦場を忘れぬ家康を前にして、高虎は己の不明を恥じる。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

Back number