よみもの・連載

城物語

第一話『戦人の城(伊賀上野城)』

矢野 隆Takashi Yano

 家康の悪辣な笑みにつられるように、高虎の目が奇妙に歪む。二匹の老いた獣が、笑いながら見つめ合っている様は、傍から見たらこれほどおぞましい物はないだろう。
「あの阿呆どもに、大御所様に背くほどの胆力が、果たしてござりまするかな」
「解らん。が、背いたら背いたで、それもまた面白い」
「確かに」
 甲高い笑い声が広間に響くなか、家康のしわがれた唇が、よどみなく動く。
「大坂にて決着がつけばそれで良い。が、戦が長引くこともあろう。儂が逃げる羽目になることも考えておかねばなるまい」
 読めた。腹心の変化を悟り、家康がちいさくうなずく。高虎は己が考えを言葉にする。
「信長公が本能寺で討たれた際、堺におられた大御所様は、この伊賀の地を通り三河へと御戻りになられた。この伊賀の地は、大御所様にとって、活路を開く因縁深き地にござる」
「そういうことじゃ」
 家康の相槌を耳にしつつ、高虎は続ける。
「もし、大坂で大御所様が退かれるようなことに相成った時は、この伊賀へと逃れられる。そして先刻、某に城を築けと命じられたは、そのまま駿府まで逃げはせぬということ。この地に留まり、態勢を整え、豊臣ともう一戦なさる御所存にござりまするな」
「やはり持つべきものは藤堂高虎よ」
 家康の掌が、高虎の肩を叩いた。
「御主の見立てどおりじゃ。大坂で敗れた際は、この地まで退き、ここに本陣を構える」
「ならばここに築く城は、大御所様の物でござりまするな」
「いいや」
 家康が首を振る。
「御主の城じゃ高虎。御主の城を築け。築城の名手と呼ばれた御主が、みずからの身を守るために城を築くのじゃ。それでこそ、我が身を預けるに足る城となろう」
「心得ましてござりまする。某が身を守る城を築いてごらんに入れましょう」
「それでこそ藤堂高虎ぞ」
 家康の高らかな笑みを聞きながら、高虎の心はすでに、新たにこの地に築く城の縄張りへと羽ばたいていた。



 伊賀の地は山深い。それ故、人の住めるような平らかな地は少ない。上野はそんな伊賀の地にあって、広大な平地を有する盆地である。この盆地の北部にある丘陵地に目をつけたのは、先代の領主である筒井定次であった。高虎は定次が丘陵地に築いた城の西部に、新たな本丸を築くことに決めた。旧本城の西方に新たな空地を作りあげ、拡張した敷地を囲むように、幅十五間(約十八メートル)の深溝を掘ったのである。
「どうじゃ大助。これほどの高さの石垣はどこにもない」
「はい」
 十五間の堀をへだてた場所から、高虎と大助は組み上がったばかりの石垣を眺めていた。得意満面の父の隣で、大助は口をあんぐりと開いて見事に反り返った石垣を見上げている。
 根石より数えて十五間という高さは、これまで数多くの城を築いてきた高虎にとっても最高のものであった。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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